その扉を開けることが、どんな意味を持っていたのか。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

Dr.シャマルとの約束の日には、朝から有給を取って万全の用意をして不測の事態に備える。

武器は服のあちこちに隠し、何かあった時のためにと小さなノートパソコンも潜ませて。

ただ、今から会う相手はマフィアではないということなので服装自体は普通のものにしておいた。

 

傍から見れば―――そう。シャマルと二人でデートでもしているように思える、程度の。

 

ボンゴレとは関係のない用事だと言っていたし、目立つことはなるべく避けた方がいいと思ったからである。

待ち合わせ場所は近くの公園と、始まりからして非常に一般人っぽいのもその理由のひとつだった。

 

 

 

 

 

 

 

ハルが前後不覚なまでに酔っ払って、クロームに連れられ帰ってきた日の次の朝。

 

頭が痛むのか呻きながら目を覚ました彼女は、ものの見事に何も覚えていなかった。

夜中道のど真ん中で浮気だなんだと叫び、クロームや私に担がれベッドに放り込まれたことも一切記憶にないらしい。

 

 

 

「う、嘘……ですよ、ね?」

「そうね、何なら電話して聞いてみたら?」

「……は、はひ…っ」

 

 

 

私の口から昨日の様子を語られると、見る間に真っ青になっていく様子が笑いを誘う。

しかし、出会ってから今まで何度もお酒を飲むところをみているが、一度も記憶を失くしたことはなかった。

 

あの連中め、どれだけ飲ませたらこんなになるんだ?一度文句を言ってやろうか―――――

 

一瞬そんな思考が巡るも、今度会ったら余計妙な事態になりそうなのでやめておいた方が無難だろう、と結論付ける。

酷い二日酔いに苦しんでいるハルを見ていると、あまり苛めるのも可哀想だと思ったのもあった。

 

 

そうこうしている内に時間が経ち、急ぎの仕事はないというから無理矢理休みを取らせて私は一人ボンゴレへと出勤。

本部で有休を申請した後、普段通りハッカーを揶揄いつつ仕事の提出を押し付けて早々とハルの家へ帰る。

予想通り昼過ぎになっても横になったままぐったりしている彼女を見つけ、その日は夜まで看病したのだ。

 

 

――――そして、シャマルと約束した今日に至る。

 

 

この日、ハルはハルで重要な仕事がある、とどこか疲れたような顔で出て行った。

やはりお飾りの地位でない代表という立場は重く、仕事をしているとストレスも溜まるのだろう。

今日帰ってきたら早めに休ませようと思いつつ、まず、今日の依頼に意識を集中させる。

 

 

(会うだけだと強調する辺り、何か怪しいのよね。そもそも私である必然性はどこに……)

 

 

思いつくあらゆる可能性と最悪の事態を頭の中で並べ立てていると、数分後、すぐ近くで車が停まる音がした。

つられて視線を上げると、それなりに高級な車からおっさんが降りてくるのが見えた。……シャマルだった。

 

約束の時間―――の、丁度五分前。彼はもちろん白衣ではなく、上等なスーツを身に纏っている。

 

 

 

「随分早いんですね、Dr.シャマル。こんにちは」

 

 

 

どうせ車に乗るのだからとこちらからも近づき、声をかけた。

 

 

 

「………ああ。そうくると思ってたぜ」

「はい……?とりあえず、三十分くらいは覚悟していたんですが」

「遅れたら何言われるか分かったもんじゃねーからな。迷惑料せびられる気がするしよ」

「っ、だから人を金の亡者のように言わないでください!」

 

 

 

皮肉気に笑うおっさんに促され、私はしっかり反論しつつも素直に従い、助手席に乗り込む。

彼からは一切の酒気が感じられない。飲酒すると本気で思っていた訳ではないが少しばかり安心した。

しかし心なしか依頼を受けた時より、空気が固いのは気のせいだろうか?

言葉少なに車を発進させるシャマルを密かに横目で見やると、その横顔がどこか緊張しているように感じて。

 

先日教えてくれなかった、今から会いに行く誰かについて―――再び疑念が頭を擡げた。

 

どんな話をすればいいのか、という質問に帰ってきたのは、『会うだけでいい』という何ともそっけない言葉。

それはどう考えても妙な話である。まるでガラス越しに会うかのような、犯罪者に面会する訳でもあるまいし。

 

車内には大きな音量で軽快な音楽が流れている―――けれども、気にせず私は質問をぶつけた。

 

 

 

「で、そろそろ教えてくれませんか。その―――御曹司とやら、一体誰なんです?」

 

 

 

途端、ハンドルを握る彼の指がぴくりと反応したのが視界の端に映った。

 

 

 

「ん?……ああ、別にお前と関わりがあるわけじゃねーぞ」

「………何でそんなことが分かるんですか?私の交友関係なんてご存じないでしょう」

「あいつは十三年間ずっと、ある病院にいるからな。お前がイタリアに来たのは十年前だって聞いてる」

「――――そう、ですか――」

 

 

 

なぜ来たのかは、知らないのだろう。その情報を流すほど、あの幼馴染は薄情ではない―――。

今それよりも重要なのは、その御曹司とやらが病院にいる、という事実だ。十三年。とても長い時間。

その間ずっと入院していたというのなら、不治の病かそれに準ずる重い病気に違いない。

 

さて、余計訳が分からなくなったのだがどういうことだろう。私が重病人に会う必要性はどこにある?

 

 

 

「……肝心なことを教えてくれるつもりは、ないみたいですね」

「六道骸の情報やったんだから我慢しろ。あれはな、一応トップシークレットだぞ」

「はあ、……まあ。結局役には立たなかったんですけどね」

、お前な………」

 

 

 

確かに頭痛の原因を突き止める何かは得られなかったが、その情報が重要機密だったことは分かる。

だからこそ快く有休を取ったわけだし、今も回れ右して帰りたいとは思っていない。

ただ、情報屋である私にとって“不透明な”状況に置かれている、ということが気持ち悪いだけなのだ。

 

今まで散々後ろ暗いことをやらかしてきた自覚はある。マフィアを―――敵に回したことも、何度か。

ボンゴレに入って、半年ハルと生きてきて。彼女を主任にしたいという望みを持ってしまった、今。

 

いつかその時が来るとしても、なるべく遠い日のことであって欲しいと願う自分がいるから。

 

 

 

「では、何かあったら盾にしますので。覚悟しておいて下さい」

「さらっと言うなさらっと!つーか相手は寝た――――」

「え、何ですか?」

「いや……それも違うか……。っ、とにかくだ、今日お前に危険が迫ることはない。俺が保証してやる」

「えーと。それ、あまり説得力がない気がするんですが」

 

 

 

執務室で初めて会ったときから肌で感じている彼の強さを信じられないほど、私は盲目ではない。

流石にあの天才と名高い殺し屋に保証されれば安心だ。だから単に、これはいつもの嫌がらせ。

 

事情を教えてくれない腹いせと言ってもいいだろう。怒らせないぎりぎりの線を保ちながらやるのがミソである。

 

 

 

「……おいコラ。この俺様を舐めてんのか」

「いえいえまさか。でもほら、噂は得てして誇張されてるものですし」

「ほほー。そうかそうか、俺の強さを手取り足取り教えて欲しいと、そういうことだな?」

「折角ですが、激しく遠慮しておきます」

 

 

 

冗談混じりにくだらない会話を交わしつつも、車は目的地に向かって進み続ける。

その先で待っている、ひとりの病人。どこかの御曹司であるという青年に会って、一体何が変わるのだろうか。

 

とにかく今日を無事に終わらせて、出来るだけ早く家に帰ってハルの為に晩御飯を作ろう。

少し痩せたように思う友人の姿を思い浮かべながら、未だに少し痛む左腕をさすり、私は静かに目を閉じる。

 

 

 

過去と今が繋がる、その扉は――――すぐそこに。

 

 

 

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