前言撤回。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

件の御曹司が療養しているとある病院、というのは彼の家族が彼の為だけに作ったものらしい。

その周囲には安全を考慮してか高い塀と鉄条網が張り巡らされ、彼の屋敷からしか行く道はないという徹底ぶりである。

出入りする人間も常にチェックされ、まるで刑務所のようだった。と、そこへ向かう道すがらDr.シャマルは苦く呟いた。

 

金持ち故に色々思うことがあったのだろうか。もしくは、そうせざるを得ない何かの理由があったのだろうか。

取り留めもなく思考を巡らせながら、私は深く助手席に身を沈ませる。やはりどこか、妙な空気が流れていた。

 

 

 

それから数十分経った頃、目的地である大きな屋敷に到着した。………までは、良かった。

扉側に凭れ窓から景色を眺めていると、入口より少し手前の辺りで突如急ブレーキをかけられ体が前につんのめった。

窓を閉めていながらも、地面とタイヤが擦れて出た耳をつんざくような音が聞こえる。驚くほどに乱暴な運転。

 

咄嗟に文句を言おうと顔を正面に戻した瞬間、私はその姿勢のまま硬直した。正確には、眼前に広がるその光景を見て。

数瞬、数秒が経ち。我に返ってふと横に視線をやると、彼もまたハンドルを握ったままで茫然と前を見ている。

 

 

比較的シンプルな内装の車の中で、私とDr.シャマルの二人きり――――痛いほどの沈黙が広がった。

 

 

 

「………………」

「………………」

「………………あの、Dr.シャマル」

「………ん、ああ。いや、………嘘だろ、おい………」

 

 

 

目の前には豪華な屋敷が聳え立っている。彼の口振りからしてかなりのお金持ちだろうと予想はできたが、桁違いに凄い。

金属製の重厚な門扉に広大な庭、色とりどりの植物、中央には噴水と絵に描いたような『豪邸』が確かにそこにはあった。

 

しかし――今。その建物の凡そ三分の一が削り取られたかのように、文字通り消失しているのは何故なのか。

そして更に、遠くの方で絶えず響いている轟音。それに混じって、そう、まるで人の悲鳴のような声が―――。

 

 

 

「いったいこれのどこが安全なんですかっ?!」

「俺だって知るか!っくそ、何が起こってやがる!」

 

 

 

我慢できずに問い詰めると逆に怒鳴り返された。この俺様が安全は保証してやる、とか言ったその口でだ。

シャマルはそのまま勢いよく車から飛び出すと、私を完全に放置して門の方へ走って行ってしまう。

 

 

(……どうしてこう、……行く先々で……)

 

 

予期せぬ出来事に遭遇しなければならないんだ?しかも、命に関わるような危険な代物ばかりときた。

パーティー事件の時と違うのは、傍に守らなければならない誰かが居ないことか。

あるいは逆に私が守られる側になる可能性もある、という事実は痛いほどに分かり切っている。

 

またひとつ大きな爆発音がして、私ははっと視線を移した。屋敷の一部から禍々しい黒煙が昇る。

規模から言ってかなり性能のいい爆弾………いや、もしくは、それと同等の何か、別の―――?

今から会いに行く予定の御曹司とやらはマフィアと関係ないんじゃなかったのか。今のこれは明らかに襲撃だろう。

もしこれで襲撃犯が一般人だとすればその方が問題だった。そんな技術を易々と使うような人間がごろごろ居ては困る。

 

ただ襲撃をしているのが何者であれ、一体何の為にこんな事をするのかがさっぱり分からない。

ああでも、そんなこと正直言ってどうでもいい。真実を知るより帰りたい。ここは私にとって危険な場所だ。

 

 

――――そもそも屋敷があんな状態では、重病人だという御曹司はもう生きていないかもしれないのに。

 

 

そんな私の安全へと流れたがる後ろ向きな思考は、車から出てシャマルの表情を見た瞬間に霧散する。

 

 

 

扉の鉄格子に手を掛け、厳しい目つきで屋敷の様子を探る彼は―――――医者だった。

患者の命を救おうと決意した医者、そのものだった。

 

頼むから帰りませんかと言いかけた私は、迫力に圧されて思わず言葉を飲み込み、唇を閉ざす。

私がどんなに強く見捨てようと叫んだところで彼は意見を変えないだろう。そう理解してしまったから。

 

―――――次に口をついた言葉は、本心とは間逆の響きを持っていた。

 

 

 

「帰る……つもりは、ないんですよね」

「あいつは俺の患者だ。少なくともこの状況を黙って見てる訳にはいかねーよ」

 

 

 

俺の医者としての矜持が許さない。ときっぱり言い切れるDr.シャマルが、酷く眩しく見えるのは。

そして事前情報も何もない場所に、危険も顧みずたった二人で乗り込もうとする自分がいるのは。

 

本当の意味で誰かの命を救ったことなどない私の、後ろめたさゆえのことだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、いいから手伝え」

「では、この先報酬は別料金でお願いします」

「あーわかったわかった、言うこと聞いてやるから話は後でな!」

 

 

 

急いでいるのは分かるが、簡単にそんなこと言っていいのか?Dr.シャマル。私に何要求されるか知らないだろうに。

しかしあえて指摘せず私は屋敷へ走り出す彼の後に続いた。絶対盾にしてやる、とその後姿に何度も何度も念じながら。

 

 

門に沿って東に移動してから暫く。ある一点で彼は立ち止まると無言で上を指した。どうやらここから侵入するらしい。

敵が居るであろう屋敷に玄関から入る義務はもちろんない。礼儀は緊急事態のこの際無視していいだろう。

最も、それを気にする屋敷の人間は既にこの世から消えているやも――――――

 

思考が帰りたい方向に傾くのを、頭を振って誤魔化し、いくつかの取っ掛かりを掴んで塀の中へ。

 

 

 

「…………酷ぇな、こりゃ」

 

 

 

改めて見ても酷い有様だった。物盗りなどというレベルではない、最初から全てを殺しに来ている。

門の外で確認していたよりも更に被害は広がり、瓦礫は散乱するはその下に赤い何かが見えるはで一目瞭然である。

 

先に降りていた彼が悔しそうに忌々しそうに舌打ちをする。最優先事項はもう、尋ねるまでもなかった。

 

 

 

「屋敷は駄目だろうが……確か“病院”への道は封鎖出来た筈だ」

「間に合っていれば―――ですよね。じゃあまずそっちに行きますか?」

「ああ。確か向こうの木の近くに、隠し扉がある」

 

 

 

やけに詳しい、と頭に疑問が擡げたが、医者という立場から何度もここに通っていたなら説明もつく。

医者として優秀すぎるほどに優秀な彼が今も尚治せないなら、どれだけ重症なのだろう。あるいは奇病の類か。

知り合いではないものの、この状況で死なれていては目覚めが悪いと私は気合を入れ直した。

 

 

例の木の下にしゃがみ込んで何やら作業をしているシャマルの代わりに、周囲を見渡し油断なく警戒する。

相変わらず爆音は定期的に響いているが、屋敷の外には人影は見当たらない。

 

とはいえこの無駄に広すぎる、城といっても過言ではない屋敷を思えば―――敵の人数はかなり多いだろう。

 

 

 

「……おい、。開いたぞ」

 

 

 

抑えた声に呼ばれ、振り向く。すると草むらに隠された場所に、人ひとり通れる程度の四角い穴が開いている。

これが隠し扉……金持ちの割りにこういうところは原始的だと、感心しつつ穴から覗く急な階段を見据える。

 

と、次の瞬間にはDr.シャマルがするりとその中に入り、あろうことか手招きまでしてきた。来い、と。

 

 

(まず中を確かめるとか!ってか中真っ暗なんですけど?!)

 

 

叫びそうになるのを何とか堪え、一度だけ溜め息を吐いて、私もその暗い穴の中へ身を滑り込ませる。

途端、光の届かない所特有の湿った黴臭いにおいが鼻につく。それでも目が慣れると、そう深くはないと気付いた。

 

十数段降りるか降りないか。そんな程度で私達はひとつの小さな扉に突き当たった。

前を進むDr.シャマルは急いた様子で取っ手を掴み、恐る恐るといったこともなく、普通に扉を開けた。

 

 

その先に。

 

 

 

「とりあえず一度死んでもらえますかDr.シャマル、今すぐに」

「あーその、なんだ。なんつーか、。急いでたっつーか、つい、な。ははは」

 

 

 

――――銃を持った黒ずくめの男が、三名。

 

 

 

「…………悪い。しくった」

 

 

 

しくったじゃねぇよこのおっさんっ!!

 

 

 

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