それは鮮やかな―――ただ一瞬の出来事だった。
灰色の夢
敵だ、とはっきり分かったのは、彼らが纏うスーツのあちこちに血と見られる赤い付着物があったから。
扉の所で立ち尽くすDr.シャマルの肩越しにそれを確認し、私は気付かれないよう静かにナイフを握りしめた。
彼らが少しでも動いたら即投げつけるつもりではあったが、シャマルの大きな体が入口の殆どを塞いでいるため難しい。
(たとえ届いたとしても、間に合うかどうか―――)
扉を開けた瞬間に仕掛けるならまだしも、向こうは既にこちらを視認している。
相手は三人。こちらは二人。位置的にも狭い場所にいる私達の方が明らかに不利だった。
しかしひとつだけ奇妙なのは―――彼らは私達を見た瞬間こそ驚きを浮かべたものの、直ぐに落ち着き払ったこと。
男達は銃を携えたまま構えることもせずちらりと視線を交わし合い、更には緩く笑みまで浮かべて口を開いた。
「トライデント・シャマルだな?」
「……なんだと?」
「いつ来るかと思っていたが、なるほどな。流石に治療となると行動は早い」
「後ろの女は助手か何かか?まったく、余計な事をしてくれる――――」
何の話をしているのだろう。まさかDr.シャマルがここに来ることを知られていた……?私はそう気付いて愕然とした。
殺気がないのは直ぐに殺すつもりはないから。そうだ、それほど“トライデント・シャマル”の名は大きい。
彼が現在ボンゴレファミリーの庇護を受けている以上、早々と手を出すにはリスクが高すぎる。
一般社会やグレーゾーンではなく、マフィアの世界に生きる人間ならば、そう判断するだろう。
(こいつら、やっぱりどこかのファミリーに所属してる……!)
そして同時に問題が浮上する。彼らは今治療と言った。つまりそれは、“病院”にいるという御曹司の話だ。
マフィアとは関係のない一般人だと――――シャマルが何度も強調したのに、である。ならばこれはどういうことだ?
次から次へと疑問が湧き、強張った身体を叱咤しつつ思考を巡らせるが、そんな私を余所に話はどんどん進んでいく。
「お前ら、どこのファミリーのもんだ」
「その質問には答えないでおこう、……お互いの為に、な」
「だがDr.シャマル。我々としてはあんたと闘うつもりはない」
「この家の人間から提示された報酬の倍出そう。全てを忘れてこのまま帰ってくれないか」
「あー待て待て、待てって。んないっぺんに言われても頭に入らねーよ」
医者は両手を挙げて降参のポーズを取り、さり気なく一歩前へと進んだ。闘う意思はとりあえず見られない。
この場を支配しているのは彼らであり、シャマルでもあり、とにかく私ではないことは確かだった。
連中の意識は私には全く向いていない。多分それは―――自信と余裕からくるものだろうと分かっていた。
距離が開いていたとはいえ扉一枚隔てただけの気配に一切気付かなかったこと。それほどの手練という証拠だ。
たとえ気付いたとしても間に合わなかっただろうが。とにかく、急いでいたとはいえシャマルも気付いてはいなかった。
彼らの所属するマフィアは―――多分かなりの組織力があり、有能な人材や優秀な武器を集められる大きなファミリー。
これだけ派手な破壊をしているのだ、後々揉み消せる力を持っているだろうことはあまりにも明白すぎる。
そんな強敵を相手にするなど言語道断。私ひとりならば即背を向けて走り去るべき危機的状況だった。
「つまりはお前ら、俺に患者見捨てろってのか?そりゃねーんじゃねえの?」
「はっ、そう言いたいのは俺達の方だ。あんたは一度こいつの治療を諦めたはずだろう」
「治る見込みがない、とな。今になってどういう心境の変化だ?よもや治療法を見つけたとでも―――」
「……………あぁ?んだそりゃ」
シャマルの声音が、僅かに変化する。より深く……より冷たく。その表情はここからは窺えない。
目の前の小部屋に緊張が走るのが分かった。敵もまた表情を若干固くして警戒を強め、銃を握る手に力を込めた。
話についていけず取り残されている自覚はあったが、表情に出すことはしない。私はただ相手の挙動を見守るだけ。
今すぐ撃ってくるか――?いや、まだだ。まだ連中はシャマルがどう出るかを探っている。
それを意識してかどうなのか、彼は低く笑いながら、まるで挑発するかのように言葉を紡いだ。
「そいつぁ面白いことを聞いたな。あいつが“起きる”とお前らにとって何か都合が悪いってか?」
興味があるねえ。ちょいと詳しく聞かせてもらおうじゃねーの?
敵対する意思をはっきりと全面に出した答え。引き下がるつもりは毛頭ないと言ってしまったようなもの。
男達は目を見開き、この扉を開け出会ってから初めて、殺気と呼べる強い視線を向けてきた。
しかし私はそれよりもシャマルの言ったある一点が気になっていた。今まであえて言わなかったとさえ思える、その事実。
(……“起きる”?……って、まさか)
どんな話をすればいいかという問いに、会うだけでいいと言ったのも―――“そういう”ことなのだろうか。
重病だという御曹司は意識不明の重体、もしくは植物状態。そんな方面の病気だと……?
「………交渉は決裂、だな」
「交渉にしたってレベルが低すぎる。どんな教育受けてんだ?もうちょっとマシな条件出してくんねーと」
金よか上等な美女集団とかさぁ。戯けた言い回しだが、じわりと言葉の端々に感じる何かに首筋がぞくりとする。
背後にいる私でさえこうなのだ、彼の視線をもろに正面から受けているだろう彼らはどんな状態なのか。
それを乗り越えて連中が銃を構えた時点で戦闘が始まる。それだけは、ひとり放置されていても理解出来た。
対する当のシャマルは慣れたもので、両手をひらひらと振っては―――また挑発的な言葉を吐く。
「ま、お前らもう動くなよ。……命が惜しかったらな」
「望んで障害になるというのか、一線を退いた身で!」
「我々が下手に出ている内に引き下がればよかったものを……!」
「っ助手ともども死ね!」
彼らが銃を構えてから。………ものの数秒で、勝負はついた。
その瞬間を見ていた筈の私には、何が起こったのか全く分からなかった。
シャマルの両手は顔の横に挙げられたまま一切動いていない。特に武器を構えた様子も、ない。
私は彼が有名な殺し屋であることと、天才的な闇医者であることしか知らなかった。闘い方になど興味はなかった。
「だぁから、動くなっつってんだろうが――――」
冷え切った言葉が、声もなく地に倒れ伏した男達へと降る。そこにはひとかけらの殺気も存在しないまま。
構えることさえ出来なかった掌の中に隠したナイフが、虚しくも温い感触を伝えてくる。
私の出る幕、というか、そもそも私が戦闘に参加しようと思える次元ではなかったことは言うまでもない。
シャマルはひとつ溜息を吐くと男達に歩み寄り、何やら服の下を探って………全員分の携帯電話を取り出した。
「さーて。どこのどいつかなっと」
どのファミリーが、一体何の目的でこんなことをやらかしたのか。その携帯に何らかの情報があれば御の字、なかったと
しても持ち帰って専門機関で分析すれば、通話履歴などから大元の場所を特定することも出来る、かもしれない。
私は硬直した身体を何とか動かして足を進め、とりあえず無様に倒れている男達の顔を覚えておくことにした。
警戒は怠らずにしゃがみ込めば、彼らがまだ僅かに息をしていることが分かる。………殺さなかったのか。
「あの、Dr.シャマル――――」
言い掛けたそれに被さるかのように、新たな爆音がすぐ近くで響いた。私達ははっとしてその方角へ視線を向ける。
最優先事項は患者の保護。現在の目的地は屋敷と“病院”とを繋ぐ唯一の道。ここで時間を食うわけにはいかない。
「こりゃ悠長に聞き出してる暇はねぇみてーだな。、急ぐぞ!」
「え、じゃあこの人達はどうするんですか?」
「あ―……解毒しない限りこいつら死ぬまでそのまんまだから、後で回収する」
それって超えげつないですね、という言葉を慌てて飲み込んで、シャマルに続き私はその部屋を後にした。