何か事情があるのは分かりましたけど、いつまでこの格好でいればいいんですか?
灰色の夢
俺を利用しただろう。と些か不穏なシャマルの台詞に、場の空気がさっと冷えた。
しんと静まり返った部屋で男三人が睨み合っている――――と、いうのは言いすぎだろうか。
奇妙な圧迫感に言葉を発することは躊躇われたが、しかし、彼が怒っている気配はさほど感じない。
「最初っからおかしいと思っちゃいたがな。襲撃のタイミングが良すぎる上に、そもそも奴らに情報が漏れてる」
俺があいつの治療に来ること、ボンゴレにしか話してねーぞ?
呆れたように溜息を吐きながらシャマルはやれやれと肩を竦めた。恭弥も骸も、反論する様子は、ない。
しかし情報はどこからでも漏れるものだ、と私は情報屋らしく考える。唯一絶対など存在するものか。
向こうの能力がボンゴレより上回っているという可能性は、決して否定できないはずだった。
短絡的すぎる、と胸の奥で文句をつけたところでまた私は思考を中断させられた。
「――――何より、お前らが真っ直ぐこの部屋へ来たこと」
(やっぱりあの大声はわざとかっ!)
声なき私の叫びはシャマルに届くことはない。道理で扉が開いている状況を分かっていながら大声を出した訳だ。
考えなしに?いや、全て計算ずくだった。ここから離れようとしなかったのも、誰がどう来るかを見極めるため。
ならばこの屋敷に入った時だって、地下で出くわした例の連中に、あるいは気付いていた――?
(……ん、まあ、それはないな)
少し考えて、即座に否定する。気付いていたとすれば向こうの方であって、彼ではないだろう。
三人組にばったり会った時のあのリアクションが嘘、だとは思えなかった。素で驚いていたようだったし。
ただ、どういう状況に陥っても抜け出せるという自信があっただけのこと。トライデント・シャマル―――凄腕の殺し屋。
(情報が流れてたってことは……向こうは知ってて、待ってた?Dr.シャマルを?)
しかし私達が到着した時は既に屋敷が半壊しており、つまりは、ボンゴレと戦闘になっていたはず。
自分達が誘き寄せられたことにだって気付いていただろう。ならば罠だと知りながら留まり続けた理由は何だ。
治療されては困る、と彼らは言った。よって重要なのは、真実、シャマルが『治療しに来たか否か』。
――――囮になることを買って出たのか、知らず囮にされたのか、の違い。
(………っああ、もう!)
考えれば考えるほど頭が痛くなっていく。……それともこの痛みは、骸に会った時特有のものか?
身体を緩く拘束されたまま目を閉じて不快感をやり過ごしていると、ここに来て漸く骸が口を開いた。
「それはどうぞボンゴレに訊いてください。僕達はただ、彼らを潰しに来ただけですよ」
あろうことか一般人に手を掛けようとした、愚かなマフィアを―――ね。
謳うように紡がれた言葉は揶揄をたっぷり含んでおり、自分達が仕掛けたという事実を認めているようなものだった。
シャマルは治療をするためにここを訪れ、訪れることをボンゴレが密かに他所へ流し、それを阻止せんと敵が現れた。
現れた敵を待ち構え迎撃する二人の守護者。守護者に命令を下せるのは―――ドン・ボンゴレただひとり。
「誤魔化すな。……って、つーことは、屋敷の連中は外か?」
「ええ、非力な一般人を巻き込むと流石に厄介ですから。鬱陶しい掟だとか、色々とね」
「俺はいいのかよ!」
「全く構わないそうですよ。……ほら」
低い声に含まれた、促すような響きに私はそっと顔を上げる。恭弥は壁際に身体を預け流れを見守っているようだった。
骸の手がスローモーションのようにゆっくりと動く。心臓がひとつ、大きく脈打った。
やがて、ぞわり、と全身が総毛立ち――――覚えのある感覚に今度ははっきりと頭が痛んだ。
恐怖ではない。けれど何故か酷く胸騒ぎがする。
呼吸も忘れてそれに魅入っていると、ぐにゃりと空間が歪んで……瞬きの後、骸の隣にある人物が立っていた。
柔らかい色の髪に瞳、穏やかに笑む様はマフィアの頂点に立つ人物だとは到底思えない。
(……………ボス……?)
実質、喧嘩を売って勝ち逃げした私にとって、偽者だと、幻だと分かっていても心揺さぶられる姿だった。
少し痩せたのだろうか。疲労の色こそ見えないものの、普段とはまた違って酷く冷めた表情をしている。
ボスの視線はどこか別のところを向いていて、多分その先に誰かがいるのだろう。恭弥か骸か、それとも。
『うーん、別にいいんじゃないかな?巻き込んでも。だってDr.シャマルだし』
『前の事件のことで貸しがたくさんあるしね。……え?屋敷?それは確かに問題だけどさ、今スケジュール空いてるの
雲雀さんと骸さんしかいないんだよ。あのう二人共、壊さないって約束出来ます?……ですよねー、ははは』
『まあ相手が相手だし、今回は仕方がないかな。――――屋敷と命、どっちが大事か聞いてあげて』
ああ、これは、ボンゴレファミリー十代目の姿だ。今まで私が………ハルが、目にした事がない類の。
幻覚である彼が語っているのは今回の任務のことで、最後の台詞は言わずもがな、屋敷に住む人達への警告だ。
被害は最小限にすると謳いながらも、住み慣れた家を手放させる方法はただの脅迫でしかなかった。
それから暫く続いた内容をまとめると、戦闘で壊れた屋敷を建て直す費用はこちらが持つ。
患者本人は動かせる状態ではないので『病院』への道を封鎖し、屋敷内で全ての敵を殲滅すること。
途中、治療のため現れるだろうDr.シャマルと合流すること。その際、状況によっては共闘せよ―――。
「ツナのやつまだ根に持ってんのか?!後で散々ただ働きさせたくせに、よくもまあ」
「それだけのことをやらかしたってことじゃないの。いい加減諦めたら」
「まあ噂によれば、別な方の分まで一緒くたにして八つ当たりしているそうですが、ねえ?」
「…………わ、分かった。頼むからもうそれ以上言ってくれるな」
いつの間にか幻は消え失せていたが、苦痛が和らぐこともなく、耳から入る音の意味を汲み取ることが出来ない。
何なんだ、一体。断続的に襲ってくる痛みが顔に出ないよう、努めて表情を取り繕う。
何なんだ、これは。私の全く預かり知らぬところで話が進んでいる。状況が変わっていく。
ボンゴレはシャマルを巻き込んだと言うが、本当に巻き込まれたのは私の方ではないだろうか。
情報屋である『Xi』も、情報部情報処理部門第五班に所属する“”も、多分、ここには必要なかった。
(だったら、……私がここにいる、意味は……?)
治療しようとしている意識不明の男性に会うことが、何かしら意味を持つとでも?
「ったく、どこまで読んでやがるんだか。でも流石にこいつのことは知らなかったようだな」
「……っ!」
こいつ、という言葉と共にまた頭に手を置かれて、私はびくりと肩を震わせてしまう。
幸いなことに気付かれなかったのか、はたまた会話に集中しているのか、誰からも特に反応はない。
「はぁ、誰にも言ってねえから当然っちゃ当然か」
「ねえ何で連れてきたのかってさっきから聞いてるんだけど?」
「そりゃお前、デートにゃ華がつきも――――っと、危ねえ!」
鈍く光を放つ漆黒が煌いたと思った瞬間、腰を浚われて共に真後ろへ跳んだ。だからどうしてそこで私ごと距離を取る。
挑発も結構、喧嘩するならどうぞご自由に。何でも寛大に赦せそうだった、私を放してさえくれれば。
「……なに。まさか、が“治療”に必要だとでも言うつもり?……そんな馬鹿げたこと」
「ああ、そうだ」
今、このおっさんは何をさらりと肯定してくれやがりましたか?
「―――――っはぁ?!」