どうやれば、この口を封じることができる?

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

何を言うかこのおっさんは!………私は叫びたくて堪らなかった。本当に全然意味が分からない。

私に出来る“治療”といえば止血など外傷的なものばかりで、意識不明の重体患者を救うことなど出来る訳がない。

患者の友人知人ならまあまだ分かる。けれど、その患者は私がイタリアに来る前から眠りについていた。

 

 

(非常に嫌な予感がするのは、気のせいか……?)

 

 

冗談―――にしては、あまりにも即答すぎた。頷いたシャマルの医者としての表情もそれを物語っている。

 

 

 

「…………?」

「それは………興味深い、ですね」

 

 

 

驚いた様子でこちらを見る二人に、私はぶんぶんと力一杯首を振って否定した。いや、本気でありえないから。

こいつ頭沸いてるんじゃないの?と無理矢理シャマルから身体を引き離し、振り向いて睨み付けてやる。

 

ばちり、と目が合う。その途端、私の先走った焦りがみるみる別の方向に色を変えるのを、頭のどこかで感じていた。

 

 

 

「なあ、

 

 

 

向かい合う私の頬に、ゆっくりと手が添えられ、ほんの少し力が掛かる。次に、もう一方の手で顎を軽く固定された。

酷く、酷く落ち着いた瞳。戯けもせず、笑みもせず、……そんな静かな雰囲気に喉の奥が詰まる。

右頬をなぞりあげた手がこめかみへと移動して。目尻を拭うような動作に、訳も分からず逃げ出したくなった。

 

まずい。(何が?)止めさせろ。(何を?)

はやく、はやく―――― 一刻もはやく。彼を、黙らせなければ。(何のために?)

 

 

 

「…………お前、………この、右ぐほぁッ!!」

 

 

 

遠慮なんか一切しなかった。渾身の右ストレート。力加減、自分の手を傷つけないような拳の握り方、全部忘れた。

まともな思考など働くはずもない―――今でも殴りつけた右手が震えているのが分かる。

 

今、この男は何を言った。何を言おうとした。右目、と。そう、言わなかったか。

 

私の全身全霊を込めた攻撃を受けても、両手こそ離したもののよろめいた程度で彼はその場に留まった。

そのことにすら苛立ちを覚えて、頬を赤く腫らしたシャマルが抗議するよう口を開いたのを遮り、その胸倉を掴む。

僅かに痛んでいたはずの左腕が何も感じないほどに、私は動揺していた。激昂、していたかもしれない。

 

彼を左手で引き寄せると同時に、再び右手を握り締めた。いつか似たようなことがあったなどと考えもせずに。

そうして、とにかく私は怒鳴り散らしそうになるのを何とか堪えて、低く、小さく、けれど鋭い声でぼそりと告げる。

 

 

 

「……人の弱点、……ぺらぺらと、口にしないで貰えますか」

「ぅお?!……あ、ああ、やっぱお前“見えて”――――ごふっ!!」

「っ人の話を聞けこの藪医者!」

 

 

 

今度は右膝でみぞおちに蹴りを思いっ切り喰らわせてやりながら、やっぱり、と思う。決定的だった。

 

シャマルは、私の右目が見えないことを知っている――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっかけはもちろん、例の爆破事件の際に得たの身体的データだった。

一部異様な数値が出た部分があったにはあったのだが、しかし負傷した箇所には問題がなかったのでそのまま帰した。

体力を酷く消耗しているようだったし、確実なことが言えないため不安にさせるのも悪いと思ったからだ。

 

ただ数値の配列を眺めていると、ふと既視感を覚え、別ファイルに保管して解析したのは良かったのだが―――。

この屋敷に眠るあいつのデータと酷似していたのには正直驚いた。通常、健康体ならありえない数値ではある。

それが何を意味するのか、そもそもその異常さとは、一体何を表しているのか。

ありとあらゆる症例を見比べて検証して、データ上、やっとひとつの仮説を得た。

 

の右目が機能していないということ。それも目自体が悪いのではなく、もっと別の何かが要因であること。

当然、確証は、ない。ただそれを前提として考えてみると、色々当てはまることがあるように思うのだ。

 

診療所に呼び出してから。いやこの屋敷に入ってからもずっと、シャマルは気付かれないよう彼女を観察していた。

 

 

 

彼女は新しいところに行くとまず、全体を隅々まで見渡してどこに何があるのか確認しているようだった。

情報屋だから神経質にもなると言ってしまえばそれまでだが。そう思って見ていると、どうも過剰な気がしてならない。

 

そしてもっと思考を過去へと飛ばしてみる。例えば、そう、シャマルとが初めて顔を合わせた時のことだ。

あの時は遅刻して、着いた頃には既に話し合いが始まっており、邪魔にならないよう気配と足音を殺して執務室に入った。

やっと来たかというように睨み付けてくる隼人だの恭弥の冷えた視線だのを受け流しながら、

綱吉と話す彼女の、少し距離はあったが横を通ってソファに座ったのである。多分ぎりぎり視界の隅に入る位置だった。

 

だが綱吉に促されたがこちらに視線をやった時、ほんの一瞬、驚いたように瞳を揺らしたのだ。

もちろんこれも、話に夢中だったとか単に気付かなかったとか、いくらでも理由はつけられる。

 

―――ただ実際共に行動してみると、彼女が視界に入った何がしかに注意を向けないなどおかしいと思うようになった。

 

それほどに敏感で、神経質。どんなことをしていても、少しでも気になればさらりと確認を行うのを何度も見た。

立ち位置、距離、視界の広さ。気配を殺していたところで認識されてしまえば意味がない。

あの状況で気付かなかったのだとしたら、文字通り『視野が狭い』のだろう。恐らくは。たった四十度の差であっても。

 

今よりも遥かに警戒心の強かったあの頃のを思えばこそ、出た結論だった。

 

 

 

「ってーな、図星指されたからって何も蹴るこたぁねぇだろ」

「もう少し下じゃなかっただけ感謝して貰いたいんですけど?」

「おいおい、コレ使い物にならなくなったら世界中の美女が泣い―――」

「だから今はそんな話をしてるんじゃなくてですね!」

 

 

 

とはいえこれらのどれもが推測であり、真実であるという保証はどこにもない。本人に確かめる以外に方法はなかったのだ。

 

 

(しっかし、……ホントに見えてないとはな)

 

 

だから、カマをかけた。正直すんなり喋ってくれるとは思っていなかったのだが、意外に反応がでかかった。

そもそも最初から何を言われるか勘付いていたかのようなの様子に、逆に心配になったほどである。

普段飄々とこちらを揶揄ってくる彼女の、さっと血の気が引いていくさまは何とも言えず居心地が悪くて。

 

その変化を恭弥に見られず済んだのは幸いだった。一発入れられるだけで終わったかどうか考えるだに恐ろしすぎる。

事実、さっきから嫌な視線がざくざくと刺さっているし、骸も面白そうに黙って見守るだけで助けは期待できない。

 

 

 

「っ……もう、百歩譲って認めてもいいです、でもだからって何でそのことが彼の治療に役立つんですか!」

 

 

 

は珍しくも悔しそうに口を引き結んで、わけが分からないと叫ぶ。

そう、重要なのはまさにそこだった。彼女とあいつの共通点が、一体何を意味しているのか。

機械が叩き出した異様な数値――――もしそれが生まれつきのものだったなら、己にはどうしようもなかっただろう。

 

ただ彼女は今の態度からしても分かるように、見えないことを隠している。………見えている、振り、をしている。

普段のその所作があまりにも自然で、十中八九誰にも気付かれていないのは、過去に見えていた頃があったからだ。

『見えていること』を、他人に違和感を覚えさせず模倣できるのはやはり身体がそれを知っているからだ。

 

生まれつきでないのなら、事故、病気、何であれ原因がある。原因があるなら、治療法を探す道を僅かにでも拓ける。

あいつと数値が酷似しているという部分が、突破口になる可能性を少しでも秘めているならば。

 

医者として、あいつの友人として、治療を諦めるわけには――――いかない。

 

 

 

「………Dr.シャマル?聞いてます?」

「ああ……聞いてる。有体に言えば、お前とあいつの、脳―――…っ!」

「二人共、伏せなさい!」

 

 

 

症状を確認できるまではと伏せていた事情をようやく話そうと口を開いて。

 

それを遮るように叩きつけられた骸の警告は、直後に響いた轟音とガラスが割れる音に掻き消された。

 

 

 

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