一見複雑に絡まったかに見える糸は。
解いてしまえば、案外容易くその姿を現す。
灰色の夢
最後までしぶとくやり合っていた最後の男を漸く地に沈めて、雲雀は詰めていた息を静かに吐き出した。
そして戦闘の間中、僅かにだが、珍しくも目に見えて動揺していた骸の横顔に冷えた視線を送る。
彼が考えているのは当然のことだろう。幻術の力を強めた、まさにそのタイミングで崩れ落ちたのだから。
言うまでもなく、骸が何かした――――などとは思っていない。十中八九、ただの事故だ。
(たとえ幻覚そのものが原因だったとしても)
骸に罪はない。……だがしかし、ムカつくものはムカつくのである。
雲雀はまだ息のあるその敵を邪魔だとばかりに骸の居る方へ押しやった。もとい、蹴り飛ばした。
「え、あの僕、がやるんですか?」
「そういうの、君の方が得意なんじゃないの」
別に興味ないし。と吐き捨てて雲雀は武器に付いた汚れを払う。ふと、視界に物憂げな色を浮かべたシャマルが入った。
彼はが気になる様子で何度も扉の向こうに視線を投げている。そう、だ。問題なのは。
下っ端は排除するよう言われていたが、五人いた能力者のうち、リーダー格のみ上から捕獲命令が出ている。
可能ならばその場で尋問するようにという話だったけれども、それも部外者がいるこの状況では難しい。
どこまでしていいものか―――無論、内心どうであろうと拷問程度に彼女は眉一つ動かさないだろうし、
こちら側が、知るな、聞くなと言えば従うのだろう。その場では、という注釈がつく場合もあるが今はまあいい。
加えて、沢田綱吉という名前を持つ、ボンゴレファミリー十代目ボス。あの上司も問題だった。
彼は爆破事件の後、事あるごとに三浦ハルが昇進してしまったことを悔やむような素振りを見せている。
あえて言うが、非常に鬱陶しい。忠犬のような獄寺でさえ、時折視線をあらぬ方向へ遣るほどだった。
まあ、端から見ていた自分でさえあっと言う間の鮮やかな就任劇だったと思うのだから
当人としては心穏やかではいられないのだろう。彼が言うようにの陰謀かどうかは定かではないけれども。
話が逸れた。とにかく、沢田綱吉は今表にははっきりと出さないものの、、ひいては情報屋『Xi』に対して
酷く敏感になっている。この状況で伺いを立てれば、迷わずNoが返ってくるだろうことは考えなくても分かった。
………いや、シャマルが言った、彼女が治療の役に立つということが事実なら、あるいは?
「では、場所を移しますか。それとも彼女を帰してから―――」
「ちょい待て。俺だってこいつに聞きたいことが山程あるぜ?協力してやったんだから除け者にはするなよ?」
「ええそれは構いませんが、まずは……」
「ああ、の治療が先だな……つーか骸。てめぇ、本当に何もしてないんだろうな?」
「失礼ですね、標的の区別くらいつきますよ」
ボンゴレの目的は、同盟に反して麻薬売買に関わったマフィアを潰すこと。あるいはその無力化である。
この屋敷を選んだのも、わざわざシャマルを巻き込んだのも、全てはそれを効率よく実行する為の布石に過ぎない。
彼らの目的だった患者と彼ら自身の関係そのものについては特に詳しく知る必要もなかった。……利用出来さえすれば。
そして現実に、連中の食いつきっぷりは仕掛けたこちらが驚く位で、その重要さは無視できない程になっていた。
(利用は……出来る。多分この先も)
それはいい。それはいいのだ。仕事がやり易くなるのは歓迎するべきことだった。
だが、何故、そこでの名前が出てくる――――?
あれは雲雀がかつて見たことのない姿だった。もっと言えば、彼女が他人には決して見せようとはしないだろう姿だった。
全身を震わせ、血の気の引いた様子で、声もなく雲雀に行け、と強いたあの瞳の色が脳裏に焼き付いている。
そうだとしても、考えすぎ、か?連中の目的は患者ひとりだ。だからDr.シャマルを襲った。は関係ない。
治療に関わるかもしれないからといって、全てを一緒くたにするのはおかしい。
雲雀はそんなことを考えながら、意識の戻らない捕虜を見て、次に彼女が居るであろう病院とやらの方を見やる。
「雲雀。お前……ってか、“お前ら”、まさかまだあいつを囮にする気か」
「…………さあね。取りあえずボンゴレ系列の施設に移すって話はついてるけど?」
「はぁ?!ちょ、何言ってんだ!」
「屋敷はもう使えませんし、まさかこのままここに残しておくつもりですか?それこそ危険ではないかと」
「だから引き込んで利用するってか?勘弁しろよ、いくらボンゴレだからってそいつぁ―――」
「家族との話はついてる。……君の治療“込み”で、ね」
「…………っ…!」
Dr.シャマルという医者、は一度やると決めたらやり始めた治療を絶対に止めはしない。
たとえ患者の居る場所が変わっても、あるいは、そのことで自分自身が利用されるとしても。
長い付き合いのせいか、命を見捨てないその性格を知り尽くしたボスが用意周到に誂えた舞台だった。
彼が例の事件でボンゴレに作った借りを全て清算していたところで、断られることはないと確信している。
「……俺が、受け入れるとでも?」
「分かりきった問答をする気はないよ。時間の無駄だし」
患者の家族も確かに渋った。そもそもマフィアとの関わりを極端に拒んできた人間達だ。
しかし己の命と屋敷、シャマルの治療と残る可能性を天秤に掛け、選んだのだ。―――はっきりと。
ボスにしてはやや強引に話を進めたものだと思ったが、最近増え続ける違反者を考えれば仕方のないことなのだろう。
それにこの交換条件は、医者……治療する側にとっても、決して悪いものではない。
どんな治療をするのか分からないが、セキュリティが厳重で、最新設備を簡単に揃えられる環境は貴重な筈だった。
「ホントお前ら、いい性格してるぜ………」
ろくに反論するべき逃げ道がないことに気付いたシャマルは、苦々しく、けれど笑った。
万が一、更なる増援が来てしまった場合のことを考えて、どちらにしろ移動することにした。
意識を失った男を軽々と嫌々といった様子で担ぎ上げると、骸は車の手配をすると言って外に出て行く。
後はをどうするか、だ。彼女の症状が軽ければそのまま帰してしまえばいいが、もし、そうでなかったら。
「で、どうなの」
「お前、その主語も何もかも省いた言い方はやめろって」
「ふうん。………………藪医者」
「ぼそりと呟くなぁああ!せめてこっち見て言え!」
「じゃあ、この藪医者」
「うるせぇよ!いっくら俺が天才だっつってもな、あの状況で分かるか!」
移動した先でと患者を隔離しておいて、尋問と治療を同時進行しなければならないこともあるだろう。
体調が悪いならボスだろうと無下には出来まい。一切の情報を渡さないことを約束すれば、だろうが。
思考を巡らせる雲雀を尻目にシャマルはひとしきり騒いでから、ふと、我に返ったように真顔になった。
「とはいえ、多分、あいつ自身心当たりがあるみてーだな」
「……それ、本気で言ってる?」
「たりめーだ。でもっておまけに、言う気はないときた」
「…………………」
、という人物が抱え込む大きな隠し事は二種類あると思っている。言いたくないことと、言えないこと。
今回のそれが後者だった場合、果たしてそれを聞き出すことは出来るのだろうか。……力ずくでも。