何がどうしてこうなった。
灰色の夢
ラジオも音楽も掛かっていない、ただエンジンの音だけが響く静かな車内。
私は身を起こすことも出来ないまま、どうにも思考が止まった頭でくすんだ色の天井を見上げていた。
車を無言で運転するのは、我が幼馴染――――――雲雀恭弥、その人である。
何でこんな状況になったんだろう、と些か居心地の悪さを感じながらもすっかり弛緩した身体を動かす気にはなれない。
視界の端に黒髪の頭がちらつくものの、そちらを盗み見ることさえはばかられた。何だ、この雰囲気は。
彼は何を思って私を送るなどと言い出したのだろう。頼まれもしないのに、自発的に、だ。
ボンゴレへ報告に行くからついでに君も乗っていけば、なんて―――――。
例えば、乗せていって欲しいとこちらから頼んだのであればあるいは嫌々ながらも承諾してくれたかもしれない。
例えば、あの爆破事件の時のように、意識がなく自力で帰れない状態だったのならあるいはそれもあったかもしれない。
今回はそのどちらでもなく、本部と近いとはいえわざわざ遠回りしてまで、私をハルの家まで送ってくれるという。
(そんなに酷い姿を晒してた、か……?)
恭弥に同情されるほどとは、気付かなかったな。などと頭の悪いことを考えながら、私はゆっくり目を閉じた。
あの後、そう、奇妙な音楽が聞こえてきて私が我に返った後。
彼らがいつまで経っても入ってこず、ただ扉の前で騒いでいるのがどうも気になって、私はこちらから扉を開けた。
突然のことに少しは驚いたのか、何故かトンファーを構えた恭弥も腹部を痛そうに押さえているシャマルも、一様に動きを止めて私を見る。
「何してるんですか?もしかして、遊んでます?」
随分楽しそうですね、お邪魔しました。と再び扉を閉めようとしたところで、案の定恭弥の足が飛んできて阻止された。
本当に足癖が悪い。私はざっとその動きを確認して、あえて言うほどの怪我はないのだろうと判断する。
黒いスーツに飛び散った血痕であろう、まだら模様には一切触れないことにして。
「、なんか元気そうだな」
「えぇすっかり治ったみたいです。――――おかげさまで」
予告もなしにぶん投げて下さってありがとうございます。そんな意味を込めてお礼を言うと、さっと目を逸らされた。
まあ一応、今しっかりと立っていられるのはDr.シャマルの判断おかげと言えなくもないから、感謝はしている。
残党に遭遇する危険性と共にあてどもなく屋敷内を歩き回るよりは、余程安全だっただろう。
ちらりと意味深な視線を寄越した恭弥には、大丈夫だと軽く手を振っておく。あえて深く追求することでもない。
「ひとまず安心、っちゃ安心か。お前がこっちでぶっ倒れてるようなら、速攻で診てやるつもりだったんだが」
「どうもご心配お掛けしました。今の所問題はなさそうですし、診て頂くほどのことじゃないと思いますよ」
「………。そう、か?」
「何と言いますか、まあ、幻覚とは相性が最悪ってことですよね、私」
あえて、意識をして、流す。こちらで先に結論を言う。たとえそれが適当なものであってもだ。
「幻術とか、今まで知識としてはあったんですが、実際本当にえげつないですね。……正直、死ぬかと思いました」
「君が攻撃された訳じゃないのに、大げさじゃないの?」
「ん?だからそれが相性でしょ?」
「……………」
「初体験なんだから大目に見てよ。自分が慣れてるからって人にまで求めないでくれる?」
わあ酷い。この戦闘狂。わざとらしく肩を竦めて挑発すると、剣呑な光が恭弥の瞳に宿る。
ちょっかいを掛けられるほどの体力は残っていないが、これで時間が稼げるなら歓迎すべきことだった。
しかしその空気を払拭するかのようなタイミングでシャマルが割り込んでくる。全くもって、邪魔である。
「こら、病み上がりが激しい運動すんな。診ていらんっつーなら大人しくしてろ。それより、これからどうする気だ?」
「これから……ですか?」
「色々あってな、そいつをボンゴレ施設に運ぶことにした。あと、連中からの情報も一応貰っとかないとな、“巻き込まれた”身としては」
情報。その響きに条件反射で聞きたいと思う。まあ、情報屋だしそもそも私にとって広い意味で関係のあるもののはずだった。
けれど彼の言葉に含まれたそれは、……そして静かに私を見つめる恭弥が視線に込めた意味は、決して私の望みを叶えてはくれない。
(急いては事を仕損じる――――って?)
今動くのは得策ではないだろう。そして都合のいいことに、私にはそれに飛びつかない大義名分があった。
「ああ、そういうことなら帰ります。あの、ちょっとハルから連絡が入ったので」
会いに行きます。と手の中に握ったままの携帯をひらひらと振る。ハル、の単語に強く反応したのはシャマルだった。
彼は目を見開いた後、物柔らかな表情を浮かべると、少しばかり揶揄うような口調で言葉を紡ぐ。
「そういやお前ら結構離れちまったんだってな、、毎日寂しいだろ?」
「………そう、ですね。でもほら、私とはハッ……じゃなかった、“彼”も一緒ですし」
「……………っ――――」
ぴしりと面白いように固まったシャマルを、私は笑った。その様子に色々なことを思い出してしまう。
ボンゴレへの借りなど関係なく、どうあれ、ハッカーと彼との縁はそう容易く切れないらしい。
約束通り、大怪我から復帰して退院した日に私がシャマルと連絡を取ると、彼は驚く程の勢いですっ飛んできた。
そして現れた彼にハッカーは無言でぶん殴られ、そのままベッドに逆戻りし、退院が少しばかり伸びたのである。
許したかどうか……は、二人の問題であって私にはよく分からない。聞き出すつもりも、ない。
それでも、今のシャマルの表情を見ていると自ずとその答えは分かるような気がする。
「元気にしてますよ。ええもう、無駄に」
「とかいって、余計なもん漁ってんじゃねえだろな」
「いえいえまさか。毎日真面目で助かってますし」
「………本当、なんだろうな……?」
嘘だとも本当だとも言わずに、私はただ笑みを深める。漁るには漁っているが、余計なもの……では、ない。
少なくとも私にとっては有益なものの方が多かった。私が知る範囲であれば、の話だが。
それでも以前より安全な場所でしか遊んでいないと何となく思う。そこは恐らく、学習したのだろう。
私と……Dr.シャマル。その間で和やかに交わされる会話から、読み取れるものはない。
逆に、読み取られるようなものもないと確信している。そう、努めて、いる。
向こうはどうか知らないが、実を言うと、私はあまり彼に対して深い理解がある訳ではなかった。
かつて凄腕の殺し屋であった―――――その片鱗を地下で垣間見せたのはほんの数時間前のこと。
優秀な医者であること、命というものを本当に大事にすること。“彼”の治療を、決して諦めたりしないだろうこと。
彼を形作る外側は朧気に理解できても、その他は殆ど伝聞でしかない。どう対応すればいいのかさえも曖昧だ。
患者と共通点があると主張する彼は、幻覚に倒れた私をどう思っているのだろうか。
「と、いう訳なので今日は帰りますね、Dr.シャマル」
「お?ああ、お前がそれでいいなら、こっちとしても異論はないぜ」
「とか言って後からついてくるつも―――」
「――りな訳ないでしょうがっ!」
それでは見ようによってはただのストーカーになりかねない。潜入するなら堂々とするっての。
おまけに患者捕虜共に搬入先がボンゴレ系列の施設とあって、あまりそう易々と入り込めないのは明白だった。
(とにかくまずは、………ここを離れること)