生きる上で、私が最も優先すること。
生き抜く上で、私が最も譲れないこと。
灰色の夢
体調は気に掛かるが基本帰らせたい彼らと、一応帰りたいと主張する私。利害の一致と言って良いものかどうか。
問題は山積していたがとりあえず綺麗に話は纏まり、彼らは施設へ、私はハルの家へと行くことになった。
眠り続ける青年を何故か付属する機械全て可動式になっていたベッドを押しながら、長い廊下をぞろぞろ歩く。
今の内に片付けられる事はあるだろうか。どうせここで別れるのだから何を言い捨てても構うまい。
どうせ直ぐ忙しくなる―――私はそう結論付けて、さっきふと思い付いた予防線を張っておくことにした。
「そうだ恭弥、今日のこと、出来ればボスには内密にして欲しいんだけど」
「……一応聞くけど。それに意味はあるの?」
「え?ほら、ボスの胃を守る為に、とか」
「それは確かに。―――って待て、治療に協力するってなったら結局あいつに話は通さねえと」
最初は彼個人の依頼で、相手はマフィアとは一切関係ないとか自信満々に言ってたくせに。
今では普通にボンゴレが絡んだ挙げ句、私にとって最悪に厄介な”敵”……かもしれない連中まで登場した。
協力とかいって関わり続けて、もしも私が思う『最悪の事態』なんてものになったりしたら――――――。
考えるだに恐ろしい。……くそ。私は心の中で舌打ちをして、喚くシャマルを胡乱気に見てやる。
「えー。協力、するんですか?」
「な…っ!ちょ、馬鹿お前、今更何言ってやがる!」
「協力って言っても、じゃあ具体的にどういう風に?それも提示せずに協力要請って普通しませんよね」
「それは……計画を立ててから……。いや、そう、例えばだな、お前の右―――」
瞬間、部屋に鈍く、深く抉るような音が響いた。特殊金属板を仕込んだ私の特製ブーツの踵が我ながら見事に壁にめり込んでいる。
彼の右手すれすれを狙った私の回し蹴りは綺麗に決まったようだった。うん、案外絶好調だな。
「Dr.―――シャマル?」
「うっ……す、すまん……」
仏の顔も三度まで、などと懐かしいことわざが頭を巡る。誰も今ここで直ぐに詳細を示せなどとは言っていない。
少なくとも第三者がいる場所で語るべきことではない筈だった。あまりにもデリケートで、あまりにも、危険な、それは。
「……まあいいです。それで、その協力とやらによって私の症状が悪化する可能性は?」
「なっ―――――」
「私はね、Dr.シャマル。自分の身が一番可愛いんですよ。一番、大切なんです」
「それは……誰だってそう、だろ」
「だから確約はしません。ここで協力する、なんて迂闊な言葉は言えないんですよ。例えそれが、あなたの友人を救う為であったとしても」
恭弥の前で私の症状、という表現をすることに躊躇はあった。しかも先刻の攻撃も怪しすぎる。
しかし協力という言葉を何度も使っている以上、最後まで隠し通すことは出来まい。
それならばいっそ、適当に“持病”程度だと判断してくれればいいのだ。細かい内容さえ知られなければ。
「ちょっと、、もう本当いい加減に―――」
「イタリアに医者の守秘義務はないっていうの?」
「………。……それは君が、病気だって意味?」
「さあてね。Dr.シャマルはそう言いたいらしいけど、私は別に肯定した覚えはないわよ」
「―――――――」
右目が見えないことは同意したが、それが病気によるものであるなどとは言っていない。
予想に反さず不審な面持ちで問い質してきた恭弥に適当に答えてから、私は漸くこの屋敷から外に出ることが出来た。
知りたいことは山ほどあった。襲撃者のことはもちろん、そもそもの元凶である患者のことも、である。
今後の身の振り方を考えた時、自分がその問題の青年について殆ど知らないことに改めて気付かされた。
彼は行方不明になった後、少ししてどこかに倒れているのを保護されたという。
彼の状況が私の両親と同じなら、何故彼は“出て来られた”のだろう?あるいは、誰が“出した”のだろう?
今頃になってこんな風に排除しに来るのなら、どうして最初から殺しておかなかったのだろう?
目覚めることはないと確信して?でも、何の為に。十三年、と十年。その三年の差に何か答えがあるのだろうか。
発見された時の状況なども詳しく知っておきたかったが、それをよく知るであろうシャマルに問うのは危険すぎた。
何故そんなことを聞くのか、と問われても困る上に、逆に何か知っているのではないかと思われるのも論外だ。
第一、情報との交換条件として協力を申し出てきた場合、断る方法が見つからない。
……自分の力で、突き止めなければ。記憶の奥底に封印して二度と開けまいとしていた資料も、……場合によっては。
屋敷とは違って比較的傷のない門のところで、骸が大きな車と共に待っていた。遠くにシャマルのそれも見える。
まず先に患者を車に移し始めたシャマルを視界に入れながら、やはり人手の少なさがやけに目についた。
大きな車の運転席には乗っておらず、当然骸か恭弥かが動かすのだろう。そこまで少人数で動く事態なのか。
手の空いている人間が居れば、Dr.シャマルの車でも奪ってタクシー代わりにすることも出来たのだが。
「じゃ、はこっち」
「は……いっ?!」
どうしよう――等と迷う暇もなく、例の台詞を言われ骸のともシャマルのとも違う、別の車に押し込まれたのである。
寝ればいいよ、などという言葉が聞こえたかと思うと、気付けば私は首元を押さえられ後部座席で仰向けに横たわっていた。
正直、何があったのか分からなかった。合気道か何かは知らないが、足への軽い衝撃だけで特に痛みは感じない。
何が寝ればいいよだ、『さっさと寝ろ(じゃなきゃ咬み殺す)』の間違いだろうが!今絶対足払っただろ!
私の声なき反論をどこか面白がるような色を含んだ視線で封じ込めると、恭弥はまた骸達のところへ踵を返す。
その後姿を呆然と見守っているうちに、脱力というか、不思議にもどっと疲れが沸いてきて起き上がる気力を奪っていった。
もういい、ハルのこと以外全部今は丸ごと保留にしてやる。車に揺られながら、私は誰にでもなくそう宣言した。
別に逃げているんじゃない、ただ猶予が欲しいだけだ。どう足掻こうと直ぐ結論を出す日は来るんだから。
ああ、でも、何だか本当に疲れた――――。緩い振動に、いつの間にか少しずつ意識が溶けていった。
後部座席から聞こえる呼吸音がふと深くなった。……きっと眠ったのだろう、体力を酷く失っていたから。
何を考えることがあったのか、予想外に遅い、と雲雀は思う。その脳裏にふと、別れ際に交わした骸との会話が蘇る。
「………考え方を変えれば、彼女は僕のような幻術使いにとっては厄介な存在かもしれませんね」
「厄介?……が?」
直接攻撃を受けた訳でもないのに、余波程度で膝をついた彼女が?あれでは幻術に弱いと大声で触れ回っているようなものだった。
それのどこが厄介なのだと睨みつければ、さも分かっていると言いた気に骸は頷く。
「攻撃の場合はまだいいでしょう。その時点では何の脅威でもありません。けれどそうでない場合……そう、偽装などの特殊なケースです。
その場に彼女が居れば―――相手を攪乱するためのそれが、直ぐに幻覚だと見破られてしまう可能性がある」
実際様々なケースを試してみないと分かりませんが。彼は顎に手を当て、首を僅かに傾げながら付け加えた。
「もっとも、あれだけの苦痛が生じるとあれば、彼女にとってはいい迷惑でしょうがね」
「……くだらない。見破れたとしてその後アレじゃ、使いものにならなくて意味がないよ」
「………………ええ、そうですね」
敢えて冷たく言い捨てると、雲雀はさっさと車の方へと歩き出す。
―――――君がそう思いたいのなら。
生温い風に乗って背中に届いた微かな声を、黙殺して。