後悔?……それは、何の?

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

えー。今の自分の気持ちを一言で表現するならまさにそれだった。まるで全く知らない自分がそこに居るかのよう。

泣いている、と指摘されたその通りに私は事実、泣いていた。涙を流していたと表現した方がしっくりくるような気もする。

 

何があっても泣かないなんてそんな強いことは言えないし、人前では控えているというだけで涙ぐむなんてそう珍しくはない。

ただそう、自分が何を思って泣いているのか、が、いまいち理解出来なかったのである。――馬鹿げたことに。

ハルは驚きと僅かに傷ついたような光を浮かべて私を見ている。つまりは私がこの状況……ハルがやったことに対して涙流したと思っているのだ。

 

ああでもそんなことある訳がない。いつだって、どこでだって、死は私の身近にあったのだから。

 

 

 

「や、ほらその、違うから。私も――――そう、私も色々あって、」

「……?………Dr.シャマルと、デート……したん、ですよ、ね?」

「そうそう、……はは、本当にとんだランデブーになったっていうか―――」

 

 

 

言葉が、詰まった。声は震えていないのに、身体だって普通の時と何ら変わりないというのに、その先の言葉を紡げない。

そんな私をどう思ったのか、彼女は目をぱちくりとさせて不思議そうな色を浮かべている。……そう出来ることがそもそもおかしいのだ。

 

ハルは、一見冷静に見えた。もちろんそうでないことは分かっているけれども、彼女自身、そんな自分に驚いているのかもしれない。

それでも案外そんなものかもしれないな、と思う。いつかの私がそうだったように、感情は後から追いついてくる。

ゆっくりと、しかし確実に。どんなに望んでも、逃げることは出来ない。

 

 

 

、さん……?」

 

 

 

目尻に溜まった水滴で視界が歪み、埃まみれの汚い床に私は同じく座り込んだ。一度だけ首を振って目を閉じる。

 

早すぎる、何もかもが。私のことも、ハルのことも。強くなるべきだと諭したのは私で、一緒に頑張っていこうとも言った。協力する、と誓ったのだ。

そしてこれは、その為にはいつかはそうするべきで、そうしなければならないと思っていて、それが今だっただけのことなのに。

私にとっては、もっと時間を掛けるつもりだったのだと気付かされる。まだ先のことだと、それ以前に出来ることは山程あると、考えていた。

 

 

(……兆候は、あった……)

 

 

最近元気がなかったハル。久しぶりに友人に会うとはいえ、珍しく酷く酔い潰れたハル。今日を終えれば、話を聞こうと思っていた。

そして今、この部屋の惨状を考える。それぞれが指し示すものは、ひとつしかない。……彼女が私に何も話さなかったこともまた。

 

 

 

「―――――ハル」

「………はい」

「これは、ボンゴレの“仕事”なんでしょう」

「…………っ……」

 

 

 

是とも否とも答えは返らない。けれど、彼女が息を呑んで黙り込む、その姿を見れば一目瞭然だった。

ハルは、余程のことがあったとしても、例え誰かに殺意に似た何かを抱くことがあったとしても、無意味にそれを実行するような人間ではない。

出来ないとも思っている。あるいはもうひとつの可能性として、正当防衛の線があった。

 

私は、ハルがそれを経験することがあるとすれば、そういうことだろうと思っていた。あるいは、誰かを守るというような――――。

つまりは不慮の事故、に相当するもの。しかし意図せずしてそうなったのなら、彼女はもっと狼狽えているはずであり、もっと恐怖しているはずである。

ハルは恐らく、『そうなるかもしれない』可能性を理解していたのだ。無意識の内でも、頭の隅では、必ず。

 

 

 

「………できると、思ったんです」

「…………え?」

「説得――――できると、思ったんです。皆、最初から……排除する、ってばかりで」

「なに、この人、何かしたの?」

「えっと……簡単に言えば、情報の漏洩なんですけど。別のファミリーに」

「――――――――」

 

 

 

説得って、そんな無茶な。と思わず口から出そうになった言葉を私は何とか飲み込んだ。

私や他の誰かなら迷わず切り捨てることを選ぶ場面でも、彼女は手を伸ばしてしまう。それを愚かだと一蹴するのは簡単だったが。

些か聞き覚えのあり過ぎるストーリーに、へらりと笑う三十路の同僚の姿が目に浮かんでは直ぐに消えた。

 

 

 

 

ぽつりぽつりと、それでもしっかり機密は守るような曖昧さで、彼女は何があってこうなったかを語り始める。

情報部の対面を保つ為の、粛清だった。事が起こる前に全てなかったことにしてしまえという、ある意味単純な任務だ。

結局、抵抗されなかったのだという。ボンゴレに捕まって死ぬくらいならこの場で死なせてくれ、だと。説得に応じないという意志は強固だった。

 

まるでいつかのハッカーのような口振りだ、と私はぼんやり思った。持ち出した情報の種類やその価値は分からない。

けれど彼の時と決定的に違うのは、この男には生きる道など最初から用意されていなかったことである。

ハルだけではなく他の数人にも下されたその任務は、彼を二度と野放しにはしないこと。殺せないなら捕まえるだけでも構わないと言われていた。

随分と馬鹿にした言い方、とは、言えなかった。彼女が弱いということを差し引いても。

そもそも情報部という部署は確かに頭脳派の集まりで、私兵ならば腕に自信があるものもいるだろうが、基本は違う。

 

ハルの役職―――代表、以下で、直接手を汚したことのある人間は実質、少ない。ゼロに近いのだ。

それが普通であって、私達が目指す頂に行く為にはそういったこともしなければならないだろう、というだけ。

だから今回の任務は、今の地位では少し先走った命令であると言わざるを得ない。排除は他の部署で事足りるからだ。

 

それでもそうしろと言ったのなら、それは、『情報部で内密に処理しなければならない』ことなのだと推察出来る。だから、……だから。

 

 

(ハルは、正しい)

 

 

たとえそれが正当防衛でも何でもない、ただの処理でしかなくても。誰かを助ける為ですらない、身勝手な作業でも。

 

 

(マフィアとして、代表として、正しい。正しいと分かっていても――――)

 

 

その先に続く、胸に湧いたひとつの感情を呼吸ひとつで閉じ込めて、私は事務的に言葉を続けた。

 

 

 

「彼、は、どうすればいいの?」

「……。報告、さえすれば、それで」

「………了解」

 

 

 

死んだことを証明できれば、死体はどうなろうと構わないのか。あるいは死体はない方がいいのかもしれない。上に報告しないつもりであるのなら。

だとしても多分、近いうちにボスを始めとしたハルの昔馴染みには情報が渡るだろう。どれだけ隠しても、無意味だ。

 

何が起こるかは容易に想像出来たが、どうでも良かった。泣きもせず、喚きもせず、ただ静かに目を伏せたハルの姿が古い記憶にたぶって見える。

たった一度引き金を引いただけで全てが終わってしまった彼女と、たった一度小さなスイッチを押しただけで全てを終わらせた私。

その瞬間に、一切の感情が入る余地は無かった。憎かった訳ではない。殺したかった訳ではない。きっとそこには何もなかった。

 

ああ、どうして、傍に居られなかったのだろう。もし避けられないことだったのなら。手伝うことは出来なくても、見守ることなら出来ただろうに。

 

 

(……ハルはもう、私とは立ち位置が違うから)

 

 

いらぬ妬みを買わぬよう、いらぬ興味を引かぬよう、底辺に留まり続けたのは間違っていたのだろうか。

いつか合流出来るその時を目指して一度離れたのは、間違っているのか。そして、ここに今、私が居る意味はあるのだろうか。

 

 

 

「……泣かないで、ください」

「埃が酷いだけだってば」

「…………」

 

 

 

泣けばいい、なんて、思わないし言ったりしない。彼女はこの先当分、この事で泣くことも悲しむことも出来ないだろう。

意味の分からない虚無感だけを抱えて、過ごしていくしかない。………中身のない悪夢を伴いながら。

 

イタリアに来る前、綱吉に貰ったのだといういつまでも真新しい拳銃が、彼女の胸元で少し光ったような気がした。

 

 

 

 

この日、三浦ハルは―――――――初めて、人を殺した。

 

 

 

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