殺すつもりだったのか、と問われたら。分からないと答えるだろう。
殺す気はあったのか、と問われたら。……どう答えて良いか分からない。
灰色の夢
同情したのは事実だった。程度の差はあっても、ハッカーと状況が同じだったから。少しだけ交流があったのもそれに拍車を掛けた。
今になって考えてみると、マフィアそのものに嫌気が差していたと語った彼は、所謂“マフィアらしくない”自分に安寧を求めたのかもしれない。
あんたと話していると落ち着くよ、なんて台詞はそんな気持ちから出たものだったのだろうか。
ハッカーを助けることが出来たのは、情報屋『Xi』への依頼が本来そういう目的で出されたものだったから、だ。
それを今回の彼にも適応できるなんて馬鹿なことを考えていた、訳では、ない。いや、馬鹿なことを考えてはいたのだ。
例えば、この仕事はハルが出席する代表会議でのみ持ち上がった話で、外部には洩れないようしている。
当然話を出してきた男性の背後には何か別の思惑があったに違いないのだけれど、それ故に表沙汰にすることはないだろうこと。
彼は母親の体調不良を理由に―――真実、彼の母親は不治の病だったそうだが―――長期休暇を取ることになっていた。
それに乗じてデータを持ち出すつもりで、だからこそ事が起こる前に始末するべきだという意見が相次いだのを覚えている。
……あの事件から、情報部の情報流出に対する危機感は高まり、監視の目もかなり厳しくなってはいるようだった。
それは恐らく、事件解決後、監査と称した本部側の調査団が情報部に入り込んだせいもあるのだろう。
どんな些細な変化も見逃さないよう……しかしそれは誰もが知るところで、彼だって気付かなかった訳がない。
ハルはもしかしたら、という一縷の望みに掛けたのだ。もし。万が一。彼が潔白だったとしたら―――?
自分にとって都合のいい夢、だった。誰も死ぬことなく解決すればいい、なんて。……そう、ただ、誰にも死んで欲しくなかっただけ。
(でもそれは皆だって――――)
始末するべき、と言った誰もが、じゃあ実際それを誰がするのかという話題に移行すると一様に沈黙を保った。
彼らはハルと同じだった。ボスが「安全だから」とここを示してくれたように、情報部―――少なくとも情報処理部門、
その近辺では誰も人を殺めたことがない。傷つけたことは少なからずあるかもしれないが。
とにかく、自分の周りでそういった経験がある人間、と言えば、だけだった。
ハルは何度彼女に相談しようと思ったか。彼女が傍に居てくれれば、自分で考えるより遙かにマシなアイディアを教えてくれたかもしれない。
しかし九班として共に行動していた頃とは違い、今のハルは代表で、は単なる班員だ。
どうにも出来なかった。の口の堅さは知っていても、規律がそれを許さなかった。バレなければいいなんて思いつきも……いや。
ハルはひとりでやらなければならないと強く思ったのだ。最後にどんな結末を迎えるにしても、これは“代表”の自分に課された任務なのだから。
そう、これも、のし上がるためのひとつの試練だと思って。
とにかく皆がハルと同レベルの所で立ち竦んでいるのなら、誰よりも早く動けば先手を打てるのではないかと考えた。
実行前から排除するべきという意見が出ていた時点で、他に道はないのだと、その事実を受け止めるべきだったのに。
『あんたはさ、……本気でマフィアに向いてないよな』
ハルの、精一杯の、提案――代表としての譲歩。真偽を問う言葉に躊躇せずあっさりと頷いた彼へと、何度も説得を試みた。
どうか引き返してほしい、どうか考え直してほしい、と。……けれどそれらは一笑に付されてしまった。
『そ、っそんなこと、言われなくても分かってますよ!それより聞いてるんですか?!』
『ん。つーかさ、ここ、変な場所だよなあ』
『だっ……ですから、さっき説明』
『マフィアが入れない場所、ねぇ。服変えただけで入れたってことは、俺らが全然そっち系には見えないっていう?……はは、』
彼の浮かべた表情にははっきりと自嘲が混じっており、何故かそれはハルに向けられたもののようにも感じた。
突き刺さる視線と、そこに含まれた哀れむような色―――。瞬きの内に彼は顔を伏せ、確認することは叶わなかった。
『……あんたって本当分かんねーの。ボスの友人だっつーからどんなかと思えばこんなだし』
『こ……』
『で、おかしな場所に呼び出したかと思えば、言うことはあれだもんなあ』
『はひ、……もしかして貶してますかっ!』
自分でも馬鹿なことをしているという自覚はある。何故なら、ここに呼び出した時、彼はある種覚悟を決めた様子だった。
しかしハルが用件を言うと、きょとんと虚を突かれた間抜けな顔になり―――しかもその後爆笑したのである。
そう、望むことは、愚かなのか?そう、信じることは、いけないことなのか?
己の力が及ぶ限り、誰かを助けたいと願うことは――――。
『駄目だろ、ハル。あんたは、選ばなきゃならない立場にあるんだ』
『選ぶ……?』
『あ、違うか。……最初から、選択ですらないのかもな』
ボンゴレか、そうでないかを区別し、ボンゴレを選ぶこと。それがボンゴレファミリーに所属するってことだろ。
俺はそれが嫌だった。何が何でもボンゴレ、大事なものが出来ても、ボンゴレの為に切り捨てなきゃいけない。
でもさ、それが仕事だろ。それが、やらなきゃならないことで、あんたはまだそっち側に居るわけだ。俺と違って。
――――なあ、ハル。もし今それが出来ないなら。
『………マフィアなんかやめちまえ』
撃ったときのことは、よく覚えていない。自分が引き金に指を掛けて、引いた感触は今もこの両手に残っているけれど。
距離は近かったのに、返り血はほんの少しだった。熱いというより、どこか生暖かくて現実味が無かった。
全ては急速に温度を失い、静寂が戻る。人を殺した罪悪感などどこにも無くて、ただ、彼の声が頭の中で木霊していた。
自分という人間はこんなにも薄情だったのか、と他人事のように思いながら、ハルは代表全てに配布されている薄い機械を取り出す。
情報部は、ある一定以上の地位になると、扱う情報の貴重さゆえに生死そのものを管理される。
管理と言っても、その情報はリアルタイムで送られている訳ではなく、一日一回、定期的に機械が脈拍を関知し信号を送るのだ。
もちろんそれが途絶えれば推定死亡と表記され、情報部の調査が入ることになっている。
……そして、もうひとつ。何らかの理由で同じ部署の人間が“死ぬ”場面に居合わせる場合である。
特別な事情がない限り、『機械持ち』は自らのものを用い相手のそれに重ねることで報告する義務を負う。
信号が途絶えたことに情報部側が気付くまでの時間を短縮する為、だと言われている。
だからこの行為が、そのまま“報告”になるのは分かっていた。あの会議に出席した代表達に対しては。
任務を受けた『三浦ハル』が、彼の死亡信号を送る――――その意味は明白すぎるほどに明白で。
「……………」
「…………これで、終わりです」
「そう。後は任せておいて」
少し休憩してなさいと床に倒れた椅子を示され、ハルは機械をポケットにしまった。
は何も聞かない。機械のことも、……彼のことも。さっきから手放せない、この拳銃のことも。
死体の処理に困ったから、なんて理由で呼んだんじゃない。どうしようもなく、声が、聞きたかった。
携帯の充電のことに気付いたのはもっと遅くで、それでもどうにかして来てくれることは分かっていた。
これは甘えだろうか。ひとりでやるべきだと判断して、実行までしたというのに――――。
慰めの言葉が欲しい?それとも、よくやったと褒めて貰いたい?そんなの、違う、………っそんなこと!
「見せしめじゃないとすれば……でもボンゴレはボンゴレか……」
顎に手を当てて、恐らくは死体の処理に関する何か―――ハルが知らないことを考えているのだろう。
埃が目に入ったと言われれば信じてしまいそうになるくらい、冷静な態度と表情で彼女は今も涙を流している。
に聞きたい。彼女が初めて人を殺したとき、どうだったのか。何を思ったのか。
今からでは想像もつかないけれど、それ故に泣いたのだろうか。……ハルは、こんなにも静かに泣く人を知らなかった。