何も――――変わらない?

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

全てはほんの数日のことだった。

代表者会議で報告が出て、仕事を言い渡されて、説得を決意して、失敗して、………彼を、殺すまで。

あっという間に終わってしまった。少なくとも今朝は、希望の欠片をまだ持ち合わせていたのに。もっと前はやる気にだって満ちていた。

彼がハルに撃たれてその生涯を閉じてから、ずっと時が止まっているような気がしている。この部屋ごと。自分の感情すら。

 

 

この世に犯罪は沢山種類があるけれど、それでも人を殺してしまえば、何もかも全てが変わってしまうのだと信じていた。

人間として越えてはいけない――――けれどマフィアとして生き続ける為には、いつか足を踏み入れるべき領域。

それは、こんなにも簡単に越えてしまえるものだったのだろうか。こんなにも容易く侵してしまえるものだったのか。

 

 

悲しくも、辛くもない、泣きたいとすら思わない。自分で選んで出た結果だから?ああ、でも、何も変わらないのに?

部長を捕まえたときとは全然違う。のし上がるための試練?これが?………意味が分からない!

 

一度でもそう思った自分が信じられない――――試練でも何でもない、そうこれはただの、

 

 

 

「ハル、ちょっと」

「……はい。何ですか?」

 

 

 

ふと、に呼ばれて立ち上がる。すると思考は途端に霧散し、ハルの中には何も残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局私がハルの為に出来たことといえば、その死体を保存してくれる業者を紹介する程度のことだった。

勿論、橋渡しなどということもしない。連絡先を教えて、彼女が携帯で彼らとやり取りするのをただ見守るだけ。

やがて交渉が成立し、死体を引き取りに来る段になってはこの古ぼけた屋敷の外へと身を隠さねばならなかった。

 

グレーゾーンとはいえここにも情報屋は数多く存在する。誰かに姿を見られる訳にはいかない。

 

 

 

彼――――ボンゴレを裏切ろうとした情報部の青年は、とある病院に保管されることとなった。

場所は聞いていない。ただ、これで三浦ハルが間違いなくその手で彼を殺しただろうことは証明出来るはずだった。

それでも尚難癖をつけてくるような輩は無視しておけばいい。説得しようとするだけ無駄な話である。

 

 

――――私は、彼女の為に何が出来ただろう。

 

 

あれから一緒に部屋へ帰り、軽い食事をとって、しかしお互い疲れ切っていたのでそのまま眠りに落ちるのは早く。

次の日の朝、私もハルも何故かその事件について語ることなく、普段通りのやり取りを交わして出勤した。

いや、他に何が出来たというのだろう。私には彼女を慰める言葉を持たないし、かといって人を殺したことを責める理由もない。

 

 

ああ、そうだ、たとえハルが間違っていたとしたって、私は何も言えなかったに違いないのだ。

―――復讐の名の下に、女子供気にせず全てを殺したという、言い訳の出来ない過去を持つ身としては。

 

 

 

「お前、どうしたんだ?有給取った癖に、朝から最悪な面してるぞ」

「……………」

「……………。……?」

 

 

 

同僚の能天気な表情は、返す沈黙に対して一瞬で真剣味を帯びた。彼は普段空気を読まないが、それなりに勘はいい。

私は何も答えることが出来ず、ただ彼の隣、己の所定位置に座る。本当に、とんだ有給休暇だった。

 

今自分が何事もなかったかのように出勤出来ているのが信じられないほどに。全てが怒涛のように押し寄せた。

 

 

 

「……何か、あったのか」

「――――まずいこと………には、なったわ」

「ハル絡みか?……お前、か?」

「両方」

 

 

 

たとえば。問題がどちらか一方だったら、もう少し考えようという気になったかもしれない。

両方しかも全く同時に起こってしまったこの状況で、進むとも退くとも選べないでいる。

 

 

 

「俺に、何か出来ることはあるか」

「――――――」

 

 

 

気遣いに満ちたその台詞に、私は重く口を閉ざした。これが他のことならば喜んで彼に助力を求めただろう。

逆に脅しつけてでも。部長を追い詰めた時のように共闘を望んだだろう。けれど、これは、違う。

ハルの件について私達は一切関知してはならないし、私は私で、一切の情報を漏らす訳にはいかなかった。

 

……………そうだ。私には、絶対に譲れないことがある。

 

広めてはならない。知られてはならない。気付かせてはならない。奪われてはならない。―――それこそ命を懸けて。

幻は幻のまま、夢は夢のままで終わらせると、あの日確かに決めたのだから。

 

 

 

「ありがとう。でも、今はどっちも様子見だし」

「……お前、だから誤魔化すなって」

「誤魔化してない。第一、ハルの方はどうしようもないわよ」

「お前の方は」

「―――――私、は」

 

 

 

私は。私―――は?かつて決めたことを守るだけだ。として、情報屋『Xi』として生きていく為に。

それが大前提であり、生きる理由そのものでもあった。己の道を阻むものを決して許さなかった。

 

本来なら今回のことだって、その前提に沿って動けばいいだけだ。患者が脅威になるなら消す。襲撃ファミリーもまた同じ。

後はどうなろうと流れに身を任せればいい―――そう、ボンゴレを出ていくことだって選択肢のひとつに数えていた筈で。

三浦ハル。けれど彼女だけは、おいそれと放置していきたくないと強く思う。約束だからとかそういう義務感からでなく。

 

 

 

「情報が、足りないから。………様子見なんだってば」

 

 

 

様子見。そう、様子見だ。まだ大丈夫、まだ余裕はある。だってまだ何も分かっちゃいないんだ。

襲撃者の調査を平行しながら、どうにかしてハルとハルの周囲を落ち着かせる手助けが出来ればいい。

 

私はハッカーにもう一度小さく礼を言うと、頭を掻き毟りたくなるような歯痒さを堪えて目の前のパソコンに向き直った。

ハルが仕事をしたように、日々私もそうしなければ。事態が、動くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

情報が足りない以上、表面的には大人しく私に協力を求めているシャマルからの連絡を待つしかないのだろう。

自力で調べるのは当然のことだが、ボンゴレが襲撃者のリーダーをどこかの施設に囲ってしまった為、そうそう上手く行くとは限らない。

彼らについて興味があるなどと知れてしまえば、交渉の材料に使ってきそうな予感がひしひしとする。

 

Dr.シャマルは治療に関して結構手段を選ばないところがあるからな。命を救うことに、真剣だ。

 

 

(助かるわけ、………ないのに)

 

 

そしてこの右目だって治るものか。彼の望みが決して叶わないだろうことを考えれば、協力する振りぐらいはしてもいいのかもしれない。

襲撃ファミリーの情報やその背後関係が分かれば御の字、むしろ言うことなしである。―――心情的には選びたくない手段だったが。

 

 

 

それから一週間。簡単に言うと、何も起こらなかった。

ハルが殆ど家に帰って来ず、帰ったとしても酷く憔悴した様子で食事もそこそこに直ぐ寝入ってしまう日々が続く。

しかし以前にも仕事が忙しい時はそうだったし、今は事件の後始末で忙しいのだろうと無理矢理結論付けて目を瞑った。

 

 

二週間。これまた何も起こらなかった。

ハルと珍しく食事を共にしても、事件に関しての話題が出ることはなく、普段どおりの何気ない会話だけが交わされる。

私の方も、シャマルからの連絡―――というか接触が一切なく、些か拍子抜けした気分で三度目の月曜日を迎えた。

 

 

 

そして、三週間目の、とある日の夕暮れ。

 

 

 

情報部情報処理部門第五班の部屋で、私は、爆破事件の時にボスから渡された携帯を握り締めてひとり、立っていた。

いつか私にはどうしようもない状況に陥ったときには、必ず誰でもいいから連絡しようと思い、常に持ち歩いてはいるものの

最近めっきり使われなくなったそれは、ついさっき、珍しくその機能を働かせた。

 

記憶にあるアドレスからして、恐らく発信者は山本なのだろう――――携帯が受信した一件のメールに、書かれていたもの。

 

 

 

それは、ハルが倒れたという知らせだった。

 

 

 

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