――――お前に、何が分かる。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

小さな小さな部屋だった。ボンゴレの中でも特に質素な内装、味気ない家具たち。

けれど防音だけはしっかりした様子で、窓も調度品も全てかなり頑丈な素材で出来ているだろうことは何となく分かる。

 

ここはいわゆる幹部専用の区域のひとつ。以前執務室だけは気軽に入っていた私も全く足を踏み入れたことがない場所だった。

部屋の中央に置かれた小さな椅子に、蜂蜜色の髪を持つ青年が静かに座っている。―――視線は、合わない。

彼はひとりだった。いや、ひとりでいるように見せかけていた、という方が正しいかもしれない。

 

まるで古風なインテリアに見せかけた通話機器……が、恐らく私達の会話を別室で待機している誰かに伝えるのだろう。

そんなこと、今の私にはどうでもいいことだったが。

 

 

 

「……さん、久しぶり」

「………………ボス」

「いきなり、……呼び出してごめん」

 

 

 

でも、と続いたかもしれない言葉を、私はきっぱりと遮る。

 

 

 

「―――いい加減に、しませんか。こういうの」

「……え?」

 

 

 

溜息と共に吐き出したそれはまるで静かな湖面に投げ込んだ小石のように。じわり、じわりと彼の中で波紋を広げていく。

私はその波が消えてしまわないよう、続けてひとつふたつと言葉を重ねた。穏やかに。笑みさえ、浮かべることが出来た。

 

挑発しているつもりではなかったが、そう取られても全く構わないという気持ちで。

 

 

 

「止めましょうと言ってるんですよ。こんな、……くだらない茶番」

「くだらない?……くだらない、だって?」

「ええ、くだらないと思います。私達のこの会話も、貴方が今持ってるその感情も」

 

 

 

そして恐らくは私が持つこの感情もまた、無意味なものだろう。くだらない、取るに足りない、……愚かな。

 

彼が何を思って私をここに呼び出したのか、何を言いたいのかは考えなくても分かる。

けれど、そもそも最終的にどうしたいのか、自分で本当に理解しているのだろうか?

私を呼びだして詰問するだけなら誰だって出来る。事情を知らない人間にだって、出来るのだ。

 

 

 

「今回のこと、きちんと調べたんですよね。その上での呼び出しは明らかにおかしいと思います。はっきり言えばお門違いです」

「……っ君の、そういうところが嫌いだよ……!何もかも見透かしたみたいに勝手に動いて!」

 

 

 

椅子から立ち上がり、堰を切ったように叫び出すボスは、しかし纏う空気の温度そのものは低い。

冷静になろうと努めているようにも見えるし、もっと他の感情を持て余しているかのようにも思える。

 

お互いの心は決して高揚してはいないが、それに反比例するかのように口調が荒くなっていった。止める気も、起こらないまま。

 

 

 

「あの時だってそうだ、君は全部分かってて主任に話を持っていった。俺に回せば自分の思い通りにならなくなるから!」

「当然でしょう。もみ消されると分かっていて提出する馬鹿はいません」

「そんなことは一人でやればいいだろ!いい加減にしてくれ、ハルを、―――ハルを巻き込むな!」

「だからハルは最初から巻き込まれていたと、何度言ったら―――!」

 

 

 

そこまで言って、私はぴたりと口を閉ざした。これでは議論のすり替えになってしまう。

わざわざ昔の話を持ち出してきた彼も悪いが、その時と今とでは全く状況が違う。

 

巻き込むな、という表現は、今に対しても含まれているのだ。ハルを巻き込むな。ハルを、……その手を、汚させるな?

 

 

(――――は、)

 

 

思いついた表現に、私は腹を抱えて笑い出したくなった。あながち間違ってはいないだろうという確信もあったので。

ふ。僅かに抑えきれなかった声が漏れたのを聞き咎めたボスの目が、驚愕に見開かれていく様を私は目を細めて見守る。

 

 

 

「それは私の台詞ですよ、ボス。あなたのその妄想に、彼女を巻き込まないで頂きたいですね」

「も……っ?!」

「妄想ですよ。こんな世界に連れてきておいて、いざ世界に染まろうとしたらそうやって怒る」

「俺はそんなつもりじゃ、……っていうか、そもそもそういう話をしてるんじゃない!」

「馬鹿ですか?そういう話ですよ。日本に居たときのまま、いつまで経っても変わらないでいて欲しかったら―――――

 

 

 

――――お持ちの権力とやらでどこかに囲ったらどうですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――。――――、さん」

 

 

 

ボスは、たった一言。私の名を呼んだだけで、私にその怒りの深さを思い知らせた。

私がもし、ほんの少しでも、欠片でも揶揄う気持ちを持っていたなら、彼の思いの強さに恐れ戦き萎縮しただろう。

けれども彼に告げた言葉は本心であり―――決して侮辱などではなかったから、私は強く前を見据えることが出来た。

 

視線を強く保ったまま、胸を張って、静かに怒るボスへと更なる言葉を紡げた。

 

 

 

「…………図星ですか」

「……違う」

「違う?そうやって怒るのは、人を殺したハルはいらないってことじゃないんですか?」

「―――っ、違う!」

 

 

 

人を殺す。その台詞に彼は酷く動揺した。敢えて避けていただろう表現―――しかし決して避けては通れない事実。

はっきりと表情を歪めたボスとは対照的に、私はもう笑顔すら浮かべられなくなってきていた。

 

彼はひとつ大きな勘違いをしていた。その勘違いは致命的過ぎるほどに致命的だ。それが彼を盲目たらしめている。

 

 

 

「………どうして、」

「…………」

「どうして、……止めてくれなかったんだ。さんなら出来た筈だろう?何もハルがやらなくたって良かったじゃないか、何も……」

 

 

 

疲れたように、彼は再び椅子に座り込んだ。両目を手のひらで覆い、深い息を吐くその姿は悲しいほど哀れに映る。

 

ああ―――。だから、……これだから、だから私は、ここに来たくはなかったのだ、と。

ぐらり、視界が揺れたような錯覚。私はボスとの距離を保ったまま、こちらを見ようとしない彼を見据えた。

 

 

 

「――――私が、傍にいられたとでも思ってるんですか」

 

 

 

彼は私を詰る。全てを知りながら、知っても尚、責めるような目で私を見る。

 

 

 

「地位も違う班も違う、もうボンゴレ本部でも殆ど会わない。そんな私が、何もかも全てを知っていたと思うんですか。

あるいは……掟を破ってまで彼女が話した、と?」

「だ、って……君達はいつも一緒に居て。代表のことも―――」

「……ふざけてるんですか?」

「ふざけ、……なに?」

 

 

 

こんなこと、本当は言いたくはなかった。

 

 

 

「いい加減にして欲しいのはこっちです。何ですかそれ、いつもいつもそうやって自分だけ被害者面して」

 

 

 

ありありと悪意が滲む、傷つけることが分かりきった言葉なんて口に出すだけでこっちもダメージを食らう。

それでも止まらない。止めてはならないと―――衝動が叫ぶ。煩いくらいに。

 

 

 

「棚上げの次は責任転嫁、まったく良いご身分ですね、貴方は。……ああ、実際いいご身分でしたっけ、すみません」

「なにを―――」

 

 

 

八つ当たりだったかどうか、なんて、分からない。私はただこの男の態度が気に入らないだけだ。たとえ雇い主でも。

 

 

 

「私が、私が、……私が!は、そうやって全部私のせいにしたいんですか、―――沢田綱吉!」

 

 

 

この会話が誰に聞かれていようと。本当に、どうでも良かった。

 

 

 

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