――――喜ばなかったか、だって?

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

急ぎはしたが然程力を込めたつもりはなかったのに、扉を閉める音がやけに大きく響いた。

静まり返った廊下、けれど今度ははっきりと感じるいくつかの気配に私は早々と背を向ける。

 

シャマルの事件のせいで今ボンゴレに恭弥と六道骸はいない。だから近くの部屋に待機している人間は自ずと知れる。

会話を聞いていたのなら、――――絶対に出てくるな私の前に姿を見せるなそしてひとつの単語さえも喋るな。

そんな念を込めて一度だけ振り向き、彼らが居るだろう周辺を睨み付けると、私は踵を返して小走りにその場を去った。

 

 

沢田綱吉との対話はどこまでも八つ当たりに過ぎなかったが、相手も同じだったのでお互い様だろう。

……そう理解してはいても、この息苦しさは一向に収まる気配を見せなかったけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――は、畳み掛けるように一頻り珍しく怒鳴り続けると、今度は唐突に言葉を切り。

こちらを鋭く睨んだ後、複雑な感情からか口元を歪め―――綱吉が止める間もなくこの部屋を出て行った。

廊下で一瞬立ち止まったようだったものの直ぐ移動したようで、ただでさえ小さな足音は十秒経たずに消える。

そのままこの幹部棟から気配が出て行くのを確認すると、綱吉は漸く息を吐いて小さな椅子に身体を深く沈みこませた。

 

 

は今回、この部屋で、会話の中に恐らくひとかけらの嘘も吐かなかった。

以前の爆破事件ではのらりくらりとかわしたり、うやむやに誤魔化したりすることも多かったのだろう。

と、そう後になって気付いたが時既に遅く、綱吉の手をすり抜けていったものは案外少なくない。

 

だから今回は慎重に―――少しの瑕も見逃さないようにと、ただ……。意地、になっていたのだと思う。

もちろん胸を掻き毟りたくなるほど苦しくもあったが、それよりももっと深い所で己の心を支配していた、感情。

 

 

―――――喜んださ。綱吉は決して誰にも聞かれぬよう、口の中だけで音もなく呟く。

 

 

ハルが人を殺したという報告を受けた時、まず驚くよりも何よりもただ、強い衝撃を受けた。

次第に脳に理解が及ぶと、何故と疑問が湧いた。なぜ。なぜ、ハルが。なぜ。……「彼女」がついていながら。

そう、思ったのだ。は己を害するものに容赦はなく、そして仕事は仕事と割り切って行動できる人間だ。

 

それは彼女がかつて認めた、フィオリスタ壊滅事件に関わっている―――彼らを壊滅させた張本人である、という事実からも分かること。

たとえ心の中でどう思っていたとしても、どう感じていたとしても、所詮は灰色―――こちら側寄りだと言ってもいい。

 

そんな彼女がハルの側に居ることは本当に心強くもあり、そして、一抹の不安を覚えることでもあった。

白あるいは黒とも言えぬ中途半端なという存在に引きずられて、マフィアの世界に傷ついたりはしないか、と。

かつて自分が取れずにいた、取らなかった手を、易々と彼女は取ってどこかへ連れていってしまった。

 

自分がハルの側に居たら。……なんて意味のないことを考えてしまうほど、遠くへ。

今ではもう姿は見えても、こちらから手を伸ばしたところで、絶対に届きはしない場所に彼女達は居る。

 

 

(俺は、……喜んだんだ、――――誤魔化しようもないくらいに)

 

 

一生。多分一生、あるわけがないと思っていた。渡した拳銃は綺麗なままで、硝煙の臭いすらせず、

自らの薄汚れた両手と彼女のそれとを比べて、その違いに心が痛むと同時に安堵を覚える日々を送るのだと思っていた。

 

胸を苦しめるこの罪悪感は彼女に手を汚させてしまったことではなく、その事に悦びを感じた己に対する―――。

 

 

 

「ご無事ですか、十代目!」

「…………大丈夫か、ツナ?」

 

 

 

が去ったからだろう。こつ、と小さなノックが響き、ここの隣の隣、の向かいの部屋で待機していた仲間が遠慮がちに入ってくる。

綱吉が入るよう促すと、この部屋の会話をしっかり聞いていた彼らは一様に微妙な表情を浮かべて視線を彷徨わせた。

 

気付いてはいたのだろうが、そんなことどうでもいいとでも言いたげに彼女は怒鳴り、叫び、綱吉を詰って帰っていった。

それでも決して詰められなかった距離。この小さな部屋ではほんの数歩分でしかないそれは縮まることなく。

そうしようとする意志すら見られなかった。まるで、彼女との間に見えない壁がそびえ立っていたかのよう。

 

呼び出されたことを彼女が侮辱だと感じていたのなら、一発殴られても仕方のないことだと覚悟していたというのに。

 

いや、違う、か。……殴られてもいいと、思っていたのだ。

この呼び出しが、詰問が、ただの八つ当たりに過ぎないことは自分が一番知っていた。

 

 

(………どうすれば、いい)

 

 

綱吉は強く目を閉じる。己の主張が的外れだったとしても、向こうの主張を受け入れる気にはなれなかった。

彼女達のすることをただ黙って見守るだけなんて、どうしたって到底出来るとは思えない。

 

喜んだのは事実でもそれは心の一部分であって、決して諸手を挙げて歓迎すべきことではないのだ。本来なら。

 

 

 

「……………覚悟、か」

 

 

 

何の。無意識に落ちた呟きは、頭のどこかから湧いた反論に打ち消される。何の覚悟だ。何の為の覚悟だ。

それが分からない以上は、どれだけ考えたところで答えなど出る筈はない。無意味な自問自答を繰り返すだけ。

 

 

 

「十代目?」

「ん、……何でもないよ。二人共、付き合ってくれてありがとう」

「ははっ、気にすんなって!」

 

 

 

無理を押して仕事を抜けて来てしまった為、いつまでもこの部屋でゆっくりしている訳にもいかない。

リボーンにも黙ってきたのだ。綱吉はこちらを心配そうに見やる二人に少し笑ってみせ、扉へ足を進めた。

 

 

の言葉は、どうしてかいつだって痛いものばかりだ。囲ったらどうかなんて言われた時には心臓が止まるかと思うほど。

けれど今でもハルには傷ついて欲しくないと思っているし、敢えてこれ以上罪を重ねてほしくもなかった。

 

――――それが、誰の為だったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……雁首揃えてどこをほっつき歩いてたのさ。僕に探させるなんていい度胸だね、君達」

 

 

 

リボーンが戻っていないことを祈りつつ執務室の扉を開けると、そこには予想外の人物がソファに座っていた。

彼―――も、彼から離れた場所で壁に凭れるもう一人も、予定では明日の朝まで戻ってこない筈だったのだが。

 

姿を認めた瞬間どきりと跳ねた心臓を誤魔化しつつ、綱吉は何とか表情を取り繕って口を開く。

 

 

 

「雲雀さん!に、骸まで。どうして――――」

「ひ、雲雀お前、戻ってたのか!」

「あー……仕事、案外早く終わったんだな」

 

 

 

取り繕いきれなかった獄寺と山本は一瞬だけ、やばいという表情を浮かべ、それを見咎めた雲雀は真っ先にこちらを鋭く見やった。

 

 

 

「やましい事がありそうな顔だけど、なに?」

「確かに、非常に怪しいですね。何をやってたんです?」

「ああうん、……ちょっと」

「ちょっと?」

「ちょっと、……さんに、話を、ね」

「…………それは、また」

「―――――」

 

 

 

不穏な空気を纏いながらすっと更に目を細めた彼は、しかしそれ以上感情を発露させることはなく口元を引き結んだ。

交わされた会話の内容に合点がいったのだろう。あの日がハルに呼ばれたことを綱吉に報告したのは他でもない雲雀恭弥だった。

 

そして彼は興味を失ったかのように目を逸らすと、どこかこちらを皮肉るような口調で告げる。

 

 

 

「ふうん。それで、殴られたんだ?自業自得もいいところだね」

「…………ううん、………なにも」

 

 

 

なにも。なにも。なにひとつ。彼女は綱吉に何もしなかった。悲痛な罵倒を除いては、何も綱吉に与えなかった。

ただそんな彼女の態度に自分が改めて自覚させられただけ、こちらが勝手に、傷ついたように装っていただけ。

 

 

 

「怒らせた、だけだよ」

 

 

 

――――ああ。どうすればいい。歓喜が、消えない。

 

 

 

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