忍び寄る、影。

 

 

灰色の夢

 

 

私の答えに満足したわけではないだろうが、既に投与されていた薬が効き始めたのだろう。

幾分もしないうちにハルは再び目を閉じ、束の間の安息の世界へおちていった。静寂を取り戻した部屋。

 

知らず安堵の息を吐いた私はそっと彼女――六道骸と同じ幻術使い――を見やった。

長い間一緒にいると、触れられたときと同じように骸とはまた違った感覚がわいてくる。痛くはない、目眩もしない。

ほんの少し、視界がぶれたような気がする……のか?程度、だ。全く苦しくはなかった。

 

(クロームも、守護者のひとり……)

 

彼女ならばずっとここに居ても誰にも文句は言われないだろう。……私と違って。

思考が己を卑下する方へ向かっているのは分かっていたが、苛々は収まる様子をみせない。

―――全てを知って尚、ただ傍に居てあげることもできないなんて。

 

距離が開くと知りながら選んだ道。頭では分かっているのに、もどかしくてもどかしくて、嗚呼。

 

 

「――――あの、」

 

 

透き通った綺麗な声に呼び止められても、私はこれ以上会話をする余裕を持ち合わせてはいなかった。

相手が遠慮がちなのをいいことに、有無を言わせずハルのことを頼んで、そのまま病室を後にする。

腹が立った。……いつまでも他人を思いやれない醜い自分に。

 

 

 

 

私が情報部の末端で良かったと思うのはこんなときだ。やることは決まっているし、余計な思考力も関係ない。

半分以上集中できていなかったものの、終業時間には普通に間に合った。

様子見だと言ってからハッカーがその事を話題に出すことはなく。流石三十路、普段は空気読めないのに。

 

それでも心配は掛けているだろうな、と思う。どこかで――とにかくどこかで、ちゃんと切り替えなくては。

 

外に出て、少し。早く帰っても一人の家は空しい、と思えるほどには毒されている。

ゆっくり帰ろうかとなんとなく徒歩を選んだ私は、雑貨屋で一度立ち止まり、商品を見る振りをしてからまた歩きだした。

そして確信を得る。

 

(………つけられてる?)

 

この感覚は間違いない。私はことさらゆっくりと歩き、町の店をたどりながら、状況を把握することに努めた。

そう、“努めて”把握しなければならなかったのだ。いつもの、情報屋『Xi』に対するものとは何かが確実に違っていたから。

なんだろう、言うなればこう、動きがひどく洗練されている―――?

 

探る。探る。できるだけ探り合いにならぬよう。気付いたことを悟られぬよう。

 

そして恐らく複数だろう連中の気配が、ついこの間、正確にはシャマルにつれていかれたあの『屋敷』で感じたものであると知った瞬間、

私は思わず足を止めて近くの洋服店に滑り込んだ。

 

(……なぜ?)

 

記憶に残る感覚。つまり骸の幻術の余波を喰らって崩れ落ちた後やってきた、いわゆる能力者たちの気配だった。

全身を舐めるように這う視線はぶしつけなほどあからさまで、目標は私なのだと思い知らせてくる。では一体何のために。

 

やはり何かが知れて?否。

あのデータ保存などが主流でなかった時代、残された資料を物理的に焼き尽くしたのだ、知ってどうこうなんてありえない。

 

第一それなら殺気など向けてはこないだろう。では?私自身奴らと面識はない―――あの日までは。

 

考えられるとすればそれか。でもあのたった一分にも満たない邂逅で?

そもそもシャマルと話して早々に“病院”に放り込まれたのだから、能力者どもとは直接顔を合わせてすらいないというのに。

 

どうする。向けられた敵意は明確だった。殺しにきていると考えた方がいいかもしれない。

あるいはの話、人質に取るということもある。行き着く先は同じだろうが。

恭弥たちの中では確かに私は最弱だ。与し易しと踏んだか。ちっ、最弱で悪かったな。

 

 

どちらにしろ―――。

 

 

思考を猛スピードで目まぐるしく働かせながら、私は目に付いたシンプルな商品を取ってにこやかな初老の店員に渡した。

何を言わなくてもプレゼント用に丁寧な梱包をしてくれるのをこちらも笑みをはり付けて見守る。

 

自覚する以上に焦っていたのだろう、飛び込んだのは紳士服の店だった。しかもそれなりに高級な。

物腰柔らかな執事風の店員を目にして、何も買わずに出るような無粋な真似はできなかった。それもこの店の計算かもしれない。

カードを渡して会計処理をしている間に、私はまた思考の海に沈む。

 

どちらにしろ―――重要な問題は、どこを戦場にするか、だ。

一般人をむやみに巻き込まないというのは掟で決まっているし……私もそうそう余計なトラブルを抱えたくはない。

かといって真正面から直接やりあう、なんてのも非現実的だ。奴らは素早い上に、……強い。

 

守護者二人を投入しなければならなかった、相手――。どんなに強がっても私一人で立ち向かうのは無謀の一言に尽きる。

己が力量に絶対的な自信を持っている連中に、見逃すなどという選択肢は初めからないだろう。

だとすれば、町中から引き離しつつ撒くことを考えなければ。

 

どんな意図があるにせよ、あの患者を狙うような連中に利用される、あるいは殺されるなど、正直死んでも死にきれない。

ああ全く予想外の出費だった。私は気を取り直すと、白髪の店員に礼を言って店を後にしつつ周囲を伺う。

やはり嫌になるくらい刺々しい視線が突き刺さりため息をつきたくなった。

 

(………よし。まだ距離はあるな)

 

じりじりと追いつめられていることを自覚しながら、誤魔化すために購入したネクタイピンをそっと懐にしまう。

頭の中にここ周辺の地図を描き出す。あんな連中相手に無傷で終われるとは思わないけれど。

 

とりあえず―――逃げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骸の元にその一報が入ったのは、綱吉と別れ、非常に不愉快だが雲雀と二人きりで今後の対策を立てている真っ最中のことだった。

 

 

「……残党が動いたと報告がありました。十五名程度ですが、能力者が半分以上を占めていると」

 

 

胡散臭い“内部抗争”とやらから生き残った――あるいは無事に逃げ出せるような連中だ。

力量はこちらが遙かに上回っているとはいえ油断はできない。

 

 

「まさか、ボンゴレ本部に直接乗り込んでくるなんて馬鹿げた真似はしないだろうね」

「どうでしょう。まあ守護者を相手にするのは分が悪いと理解したでしょうし……では、Dr.シャマルの居所を突き止めた、とか」

「あの寂れた診療所もどきの話? だとして、ボンゴレに何の影響があるっていうのさ」

「――――」

 

そうですね、と呟いて骸は考え込む。奴らとてトライデントシャマルの名を知らぬ訳があるまい。ある意味えげつなく、ある意味最凶の医者。

どれだけ自暴自棄になっていたところで、ボンゴレに対してもシャマルに対しても迂闊には動けない筈だった。能力者ならば尚更。

 

その時点で……失念していた、と、言ってもいい。もちろん可能性としては考えていた。ただ、ある程度というか、

助手と称して無理矢理連れてこられた、という彼女の立ち位置はそれなりに理解していたから、優先度は低いだろうと無意識に決めつけたのか。

とにかくまさか真っ先に狙いにいくとは思えなかったのだ。他には目もくれず、なんて。

 

だから骸は、その能力者達の中に潜り込ませた者からの二度目の報告に一瞬、言葉を失った。

彼女は情報屋にしては変わった人間だった。

白い経歴など引っかかることはあるものの、雲雀恭弥と親しいなどという珍しさ以外、とりたてて特別なところなどない、そんな女性。

いずれ興味を失うだろうと考えていたが……掛けたつもりのない幻術に苦しむ彼女を見てから、拭いきれない閉塞感が思い出した頃にやってくる。

 

罪悪感? 違う。そんなものじゃない。―――そういうことでは、ないのだ。

 

 

「………なに?」

「まずい、ですね。……どうやら、『彼女』の捕捉に動いたようです」

「―――!」

 

 

驚きを滲ませ目を見開く姿の珍しさを笑う余裕はなかった。当たり前だ。

彼女と連中の実力差など明白すぎるほどに明白、能力者相手にして無事で済むわけがない…!

 

 

「彼女はシャマルに連れられてあの場所に居ました。そして碌々戦闘に参加していません。ターゲットにしやすいと踏んだかと」

「今、は?」

「就業時間は過ぎているので帰ったと考えるべきでしょう、とにかく確認します」

 

 

綱吉への報告、他の守護者への警告、彼女を捜す前にやることがたくさんある。これがもし陽動も兼ねているなら慎重にならざるを得ない。

……なんて、このわがままな男は聞きゃしないだろうが。二人してせわしなく廊下を走りながら、骸はふと、頭の隅で思う。

 

 

彼女が狙われる可能性が低いと思ったのは、連中が彼女を特定し得る情報があまりにも少ないだろうと思ったからだ。

恐らく雲雀恭弥もそう考えていたに違いない。邂逅は一瞬。リーダーは捕獲、それ以外は完全に潰している。

情報伝達係がいたとしても前線に自分達が立ち塞がっていた。

 

例外として、唯一彼女とまともに会った三人は既に殺され――――……

 

 

(……誰、に?)

 

 

確かな答えは、どこにもなかった。口封じに殺されたのだろうという見解は仲間内で一致した。

だが、肝心の犯人は今も特定できていない。同じファミリーか誰かだろうと思って……思って?そうだ。どこにもその証拠なんてない。

三人の死体からは何の痕跡も見つからなかったのだから。

 

頭のどこかで生まれた嫌な予感に、骸は、軽く目を眇めた。

 

 

 

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