自分の中で何かが、確実に。
灰色の夢
ボンゴレファミリーに所属するということは、同時にボンゴレファミリーを己の背に負うということだ。
組織というものに入った以上はどんな地位であろうとその看板を背負って行動する羽目になり、
行動の結果は組織に直接降りかかる。もちろん情報部の下っ端など、何かあれば簡単に切り捨てられることは必至。
しかし切り捨てたところで事実は残る。けじめをつけても、完全に「なかったこと」にはできない。
その綻びを小さなものだと無視し続けて―――結果、瓦解した組織はいつの時代も存在する。
ボンゴレに入る直前、賞金首だからと狙われて応戦しようとした私はすぐ近くにリボーンの気配を感じて一度躊躇った。
ファミリーに入ったらこういうことは控えるべきなのか、と。
今後私がそういった連中を殺せば、それはボンゴレファミリーが殺したことになる。
その場に居合わせた――あるいはつけていた?彼は「そんな決まりはない」と言ったが、果たして実際はどうなのか。
……情報屋『Xi』を狙うなんてマフィアに関係ない奴らだとわかってはいたが、万が一という可能性も否定できない。
それは全てのケースにおいて言えることだった。
つまりは何が言いたいかというと。私は今、ボンゴレから命じられた仕事である場合や、緊急事態……
やらなければこっちが「確実に」殺される、みたいな状況ではない限り―――問答無用で命を奪う、ことに対して
積極性を失い始めている自分に気付いたのだ。その、つい最近になって、だが。
爆破事件が終わって平穏すぎる日常が続いていたから?わからない。
(私は今までどうやって人を殺していたのだろう、とか、)
頭の悪いことを思う自分に吐き気がしている。そんなもの急所にナイフを突き刺せば一発なのに、とか。
同じところをぐるぐる廻る思考。……ハルが人を殺してからだ。こんな感情を己の中に見つけてしまったのは。
彼女に感化されている――自覚は、あった。
私自身、ボンゴレに入る直前「望んで敵になった人に情けはかけない主義」だ、などとほざいたことがある。
向こうは殺気満々だったのだし遠慮することはないのは確かだが。それにその後だってそうだ、いつだったか
情報屋『Xi』に賞金が掛けられていることが恭弥達にばれた時のこと。
「私が生きるために死んでいただきます」?「せめて一瞬たりとも苦しまないように殺してあげる」?
大して昔のことじゃないというのに、今にして思えば馬鹿馬鹿しい台詞だと思う。
殺すなら殺せ。ただ殺せ。格好をつけるな―――殺される側には何も変わらない。
まったくもってつまらない人間、……なのは今も同じだろうけど。あの頃の自分を思い返しただけで頭痛がする。
……酷く、疲れる。おまけに、己を餌に釣り上げた誰かと、気が弛まない為に戦う、だって?
(すっごく邪魔。超邪魔。超絶邪魔)
どうしてそんな鬱陶しいものを望んだのだろう、と今ならそうはっきりと言える。
あるいは逆に、どうしてそう望まなくなったのだろうか。……答えは考えるまでもなくわかった。
生きていく上で唯一の刺激とも呼べたそれをこうも厭うようになったのは、この日常が――あまりにも充実していたからだ。
恭弥に会って、ハルの部下になって、同僚ができて失って、ボスと喧嘩して、また同僚ができて。
自分の未熟さを思い知らされて落ち込んで、またボスと喧嘩して。辛いことがなかったわけじゃない。今も辛い。
でも、味気のない時間なんてきっと一瞬たりともなかった―――。
「……それはナイフか?貧弱な武器だな」
「あなたも折り畳み式の鎌なんて凄いですね。どこに売ってるんですか?」
あと黒いフード付きのローブ着たら本物にしか見えませんよ、と、どことなく頬が痩けて顔全体が蒼白い
リーダー格へ笑顔をひとつ。ビルの屋上から降りてきた男(ごく普通に廃ビルの中の階段を使って降りてきた。
あまりにも普通すぎて思わず待ってしまった)はぴくりと反応して私を睨みつけてくる。
「おっまえ、やめろよな!隊長、実はそーゆーの気にして……」
「こら、駄目だって!隊長、……怒るよ?」
「…………少し黙った方がいいぞ、お前ら」
口から胸元にかけて鮮血で染まっているあのゾンビ男もすでに何事もなかったかのように平然と立ち、
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を宥めている。仲良さげな三人だ。そしてその横で―――密かに殺気をまき散らす死神。
と、その背中に背後霊のようにしがみついている……幼い少年?まあ、どいつもこいつも一応能力者なのだろう。
しかし、しかしだ。この程度の安易な挑発にあっさり乗るところをみると、やはりどこか、おかしい。
(……………なんか、ね)
逡巡。躊躇。それに似た何か。ナイフの柄をしっかり握りながら―――私は未だ動けずにいる。
ボンゴレに入る前、あるいは直後だったのならこんな感情は芽生えなかったかもしれない。
問答無用でがむしゃらに突き進めたのかもしれない。一体何が私を押しとどめているのだろう?
『――えー!だって――』
『なぁ、――――』
『―――……は、どう……かな?』
違う。そんなもの全然関係ない。脳裏をよぎったものを――もういない誰かの声を――私は即座に打ち消した。
同じなんかじゃない、似てもいない、ただ、その三人の関係性が、そのやりとりが、少し―――ほんの少しだけ、
懐かしい響きを持っていたような、気が、して。
(ああ。……そう、か)
私は天を仰ぎたい気分で奥歯を噛み締める。最初から会話など交わすべきではなかったのだ。
相手と対話して隙を作る?それで私の心が揺れていては本末転倒である。知るのは相手の能力だけで良かった、
挑発を効率よく行う為には大雑把に性格も知るべきかもしれないけれど、そいつらの人となりや関係性、
その他もろもろなんて知らない方がむしろ良かった。そうすれば。似ている、などと思うことはなかったに違いない。
あるいは、……躊躇うことも?
「ぐぁ!」
「え、あ、」
「ぎゃー!ちょ、ストップ!」
潰す、と言った筈だというのにやはり大した殺気は感じられない。まず最初に愚直にも真っ向から来た二人を避けつつ、
お前本当に私を人質にするつもりがあるのか?!と問い質したいくらい、迷いなく私の両足へと
綺麗な軌跡を描いて襲ってきた鎌を、ナイフでただ受け流す。受け流した先に例の三人が固まって
居たのはもちろんわざとである。こちらの思惑通りあっさり飛び退いた彼らに向かって続けて幾本かを投擲する。
予想に違わず当たるどころか掠りもしない。だが。
「―――あの。」
私は少し立ち止まって、その五人(隊長とやらにへばりついた少年は特に何もしていないようだった、)を睥睨した。
声をかけると文句も言わず動きを止めた彼らに知らず口元が引き攣る。
「やる気、あります?」
「当たり前だ」
即答したのはただ一人、青白い死神隊長のみ。腰巾着は喋らずそして他の三人は―――なぜか一斉に目をそらした。
なんだこいつら。一人一人は絶対強いし、知っている分だけでもその能力は実用的。さっきだって私は避けるのに精一杯だった。
だからそろそろ本腰入れて反撃を、と気合を入れたばかりだ。怯えた演技をかなぐり捨てて。
(なにこれ? 戦略が全然なってない。協力して戦ってる自覚はあるわけ?)
元々手を抜いていただろう三人組が、死神隊長が参戦したことで明らかにもっと手を抜いている。
爆発が少ない。風の刃は申し訳程度に私の十数センチ横を通り過ぎた。唯一それなりにやる気はあるらしき当の
隊長さんは、こちらが仕掛けた挑発には必ず乗ってきて、フェイントも面白いように引っかかる。実戦経験がない
と言われても納得してしまうくらい先が読みやすい攻撃。そもそも彼は少年を背負っているためか動きが大変遅かった。
目的はボンゴレを潰すことだけ。そんな台詞を冷たく言い放つ割には、
(………真剣味がない)
私自身、報復をしたから分かる。復讐をしてしまったからわかる。復讐?報復?……こいつらの、どこが?
何もかもが軽すぎるじゃないか。ぽんぽんと飛び出す軽口、子供のようないっそ無邪気ささえ感じる笑顔、
やる気があるのかと問いかけたときの、三人のばつの悪そうな様子―――。
逡巡。躊躇。それに似た何か。ナイフの柄をしっかり握った筈の手が、ほんの少しだけ緩んだ、
その、瞬間。
「――――!」
声。……声。それは全てを貫いて真っ直ぐに私の心へ届いた。
。―――。声。全てがスローモーションのようだった。私も含めこちら側の全員が声のした方を見た。
走ってきたからか高級そうなスーツもさらさらな髪の毛も乱れ、珍しく息があがっている。雲雀恭弥。私の、――幼馴染。
隣にはシャマルと、もう一人、何故か久しぶりに見る山本が居て。
それを確認した能力者達は当然のことながらすぐさま私の方へ振り向き、十中八九、捕まえるために手を伸ばしてきた。
恭弥達とはまだ明らかに距離が離れすぎている。
最初は、一番近くに居た死神隊長with子供。……普通にかわすついでに隙が出来ていたので地面に引き倒した。
次……は、その腕に直接ナイフを突き刺して怯んだところを抜け出す。次。ここで予想外のことが起こった。
童顔に掛けられた足払いを飛び上がることで回避した私は――着地に失敗したのだった。着地地点にあったベニヤ板が
腐っており、私の体重を支えきれずぱきりと頼りない音を立てて割れた。バランスを崩す。
だから、私は近くの壁に手をつかなければならなかった―――この戦闘で痛みだした例の左腕を、思いっ切り。
衝撃のため手首から肘の方まで走る、びりびりとした感覚に怯んでできた隙を見逃してくれるほど奴らは馬鹿ではい。
だからなりふり構ってなどいられなかった。この体勢で武器になるのは右手に握ったナイフだけ。
それがあまりにも心許なく、そして、だから、―――急所を狙わないなんてできなかった。
体勢を立て直す間に肉薄していたのは、連中のうちでも取り分けしぶとすぎるほどにしつこいゾンビ男。
私が思うまま器用に滑るナイフは、恐らく恭弥達の登場に心底焦っただろう彼の喉笛を、深く、確実に切り裂いた。
「―――っ、!」
しまった。そう思ったのはあまりにも遅く。
「!!っ、んの馬鹿が!」
Dr.シャマルのせっぱ詰まりすぎた声を聞きながら。
至近距離から噴き出した鮮血が閉じる暇もなく私の“左目”に入り、―――ブラックアウト。
灼けるような耐え難い痛みと共に―――――
私の視界は、完全に闇に閉ざされた。