ぞっと、した。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

「動けば殺す、―――いいな!」

 

 

それは忠告ではなく、警告でもなく。ただの宣言であり、決して揺るがない事実だった。

普段の飄々とした様子を知っている人間であれば、Dr.シャマルがそういった物言いをしたことに驚いただろう。

常に人を食ったような態度を崩さず、戯けたことしか言わないようなおっさんが―――

 

身も凍るような殺気を何の遠慮も無く叩きつけたのだから。

 

それを受けて、喉を切り裂かれた一人を除いた残りの連中はぴたりと、それこそ石像のように動きを止めた。

山本だけでなく雲雀でさえも歩みを止め一瞬身構えてしまったくらいだ、相手に掛かる圧力はどれほどのものか。

 

水を打ったように静まり返った空間。至近距離から鮮血を浴びるという“らしくない”ヘマをした彼女は医者の

叫びにも反応せず、だらりと下げた右手にナイフを握り、血が入ったのか左目を押さえ何をするでもなく突っ立っている。

そこへ、何を差し置いてもといった様子で急ぎ駆け寄るDr.シャマル。

 

 

なぜ、自分はそれをただ木偶の坊のように見守るしかできなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌な予感ほどよく当たるとは、一体誰が言い出したことだったか。

がDr.シャマルに連れられて例の屋敷に来ていたことをボスに報告しなかったのは、繰り返すがボスの胃の為……

などではありえない。むしろ最近の奴の態度を考えればもっときりきり苦しめばいいのにと雲雀は強く思っている。

 

―――それはさておき、とにかく、今のところ報告の必要はないとこちらで勝手に判断したからに過ぎなかった。

Dr.シャマルの治療とやらが本格的に始まればまた話は別だったが、今回。“能力者の残党によるボンゴレ襲撃”に

関しては、多少の不安はあったものの、がターゲットになると本気で考えていたわけではなかったからだ。

 

 

ボンゴレという強大な組織を相手取るなら、確かにその中の弱者――それを彼女だと断言するにはかなりの

語弊があるが――を真っ先に狙うのは至極当然のこと。

 

しかし彼女をボンゴレ情報部情報処理部門第五班所属「」なる人物である。と、

こうもたやすく特定し、尚且つ捕捉に動くとは到底考えられないのも事実だ。

 

Dr.シャマルの助手はそもそも存在しない故に、調べたところで何が出てくる筈もなく。

何かの間違いでよしんば特定できたとしても、実情はどうあれ、彼女の地位は低すぎるほどに低い。

切り捨てるのは簡単だと誰もが思うだろう。ボンゴレに対するカードとしてはあまりにも弱すぎる。

 

ならば更に突っ込んで元上司である三浦ハルのことを、そして彼女とボスその他の関係を知ればあるいは?

いや、ファミリーとしての体を保てなくなった残党にそこまでの力はないと断じた。現実的とは言えまい。

 

 

……それを油断だと言われてしまえば、返す言葉はないのだったが。

 

 

 

『骸に、雲雀さん。―――後で、わかってるよね?』

 

 

 

冷ややかな声が脳裏に甦る。結局のところ、報告は、まだしていない。

なぜ無関係な筈の彼女を、などという尤もな疑問を沢田綱吉自身が黙殺したからである。

 

時間を取る事情説明よりも先ず救出を優先した―――珍しくも、と言うべきなのだろう。

三浦ハルと―――否、『』の二人に対して、沢田綱吉という男は些か上手く立ち回れないきらいがある。

やることなすこと大概が裏目に出るというか。無論、片方にそう仕向けられただろう時もあったかもしれないけれども。

 

ともかく三浦ハルがああなった今は尚更心穏やかではいられなかったに違いない彼は、

今回、珍しくもその能力を遺憾なく発揮した。骸からの情報で襲撃犯が二手に別れ、一方がの捕捉に

動いたことを聞いた彼は何事かを悟ったのかもしれない。詳しい話は後でそれはもうきっちりばっちり

余すところ無く、という脅しでしかない前置きのもと、ボンゴレファミリー十代目ボスとして集結した部下に命を下す。

 

 

 

さんは律儀な人だよ。……まあ、俺達が思っているよりは、ずっとね』

 

 

 

位置を特定されることを厭って所持していない、とは全く思っていないようだった。

実際、確かに彼女は律儀に持っていた―――ボスはあの携帯に内蔵されている測位システムを起動させて、

の現在位置をあっさりと割り出した。今まで鬱陶しいくらいうじうじしていたのが嘘のように。

 

苦味を残しながらもどこか吹っ切れた様子で笑う青年を、どうしてか目一杯殴りたい衝動に駆られたが流石に弁えている。

そんな場合ではなかった。状況は予断を許さないが、かといって悠長に作戦会議をする時間も惜しい。

 

 

や、れ、ば、できるんじゃねぇかこのダメツナっ!などと最近の腑抜けっぷりに業を煮やしていたリボーンに

怒られるボスを放置して―――雲雀は、同じく救出に割り当てられた山本と共に走った。

 

急いて……そう、焦っている自覚は、あった。爆破事件の時とは全く違う感情。

 

 

 

 

 

 

ひとえに戦闘と言っても、それが何を指しているかはその単語だけではわからない。

「マフィア」として己の身体だけで物理的に戦うもの。「守護者」としてリングその他“力”を使う、

科学の力を総結集したものとはいえ一般人から見ればファンタジーに括られてしまうようなもの。

 

今回の事件に関しては後者であり―――それゆえに、彼女が巻き込まれたことに関して、

雲雀は灼けつくような焦りを禁じ得なかった。前者であるならば恐らく、そこまで問題視はしなかっただろう。

 

彼女は確かに強い。……そこいらの一般人と比べれば遥かに。そして狙われることに慣れきっている彼女の

強みは、逃げ足が早いことだ。素早さに特化しつつ、無駄な動きを削って体力を温存する。

相手の攻撃を受け流すのが恐ろしく上手く、加えて敵に背を向けることになんら躊躇いを覚えない。

 

何度か戯れに仕掛けたことがあるからわかる。屋敷に来た連中ならともかく、彼女は「居残り組」の能力者共に

決して劣るものではないと頭が冷静に答えを弾き出す。それでも。そもそも能力というものに対する

経験値の無さが気にかかる―――凡そ初めての筈だった、今までマフィアに関わらず生きてきたと言うのなら。

 

捕捉……人質にとる、イコール、ボンゴレやDr.シャマルに対して何らかのアクションを起こすまでは

命を奪うつもりはないということは十二分に理解している。だというのに、この身を焦がす、痛みにも似た感情は……。

 

 

ボスが示した彼女の居場所は、街からはかなり離れていた。

がどういう思考を辿ってそこに至ったかなど自明の理。誘い込まれたにしろそうでなかったにしろ――――

 

 

ともすればすぐ思い出してしまう彼女の骸の幻覚で崩れ落ちたあの姿を、雲雀は溜息と共に掻き消した。

 

 

 

 

 

 

 

連中に対するの立ち位置が分からなかった。誰に対しての人質として扱われるのか。

もしもDr.シャマルの助手としてであるならばと、途中、本部の中庭で暢気に煙草をふかしていた藪医者を

ひっつかまえて同行させた。当然、連中への人身御供にする気満々である。

 

押し込んだ車の中でぐちぐち文句を言っていたが面倒だったので無視していると、見かねた山本がハンドルを

握りつつ事情を説明した。途端、がらりと顔色を変えて詰め寄ってきたがどうでもよかったのでもちろん無視する。

 

 

車を降りて少し走ればすぐ、捜し求めた姿があって。

雲雀は己が真っ先に彼女の名を呼んだことを、その声に込められた響きを、自覚してはいなかった。

 

 

(―――――……っ、)

 

 

生きている。それは当たり前のことだから安堵などしない。彼女にしては妙なヘマをする、と呆れの滲む嘆息は、

シャマルの叫びに打ち消され喉の奥で引っかかった。無遠慮な殺気が肌を刺す。

 

……なぜ。

雲雀の頭を占めるのはその一言だった。なぜ。

 

左目に異物が入った、程度のことで全ての動きを止めた

まるで命に関わることだとでもいうような焦りを以てに駆け寄るDr.シャマル。

 

 

 

、大丈夫か?!……っ目ぇ見せろ!」

 

 

 

そして―――その光景を見て身体の奥からわきあがる、吐き気にも似た苛立ち。閉塞感。

胸糞悪い、どろりと濁った感情。訳の分からない……正確に言えば今まで感じたことのない衝動に

手当たり次第何かを壊したくなったが、相手が凍り付いたままでは話にならない。

 

 

 

「な、なあ、雲雀。今のうちにこいつら捕まえといた方がよくねーか?」

「………別に。好きにすれば」

「ちょ、おいって!」

 

 

 

山本が騒いでいたが、雲雀は動く気になれなかった。

視線の先でシャマルは近くの廃材にを座らせ、甲斐甲斐しく手当を施している。

血を拭き取り、どこからか取り出した液体で目を洗浄する。彼女はそれに為されるがまま―――。

 

 

ふと、最終的に白い眼帯をつけられた彼女が、何かを確かめるように周囲を見渡した。

その、……唯一露わになっている、右目、に。

 

 

(………なに……?)

 

 

ぞっと、した。雲雀は、ソレに紛うことなき戦慄を覚えた。

顔の動きにそって自然に眼球が動き、不自然なところは見当たらない。と、いうのに。

 

ぞっとした。ぞっとしたのだ。

 

その右目が。

 

 

一切の感情が窺えない、まるで硝子玉のように無機質だった、から……?

 

 

 

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