深夜。
賑わう歓楽街から少し離れた裏路地に、その店はあった。
灰色の夢
「こんばんは、マスター」
「―――あぁ、か。いらっしゃい」
私はいつもの場所に座り、いつもの酒を注文する。
「はいよ」
「ありがとう」
客は疎らで、カウンターには私一人だけ。
この店は見た目かなり怪しい裏通りにあるので、中々一般の客が入らないのだ。
マスターは酒を出すと正面に座り、話しかけてきた。
「、随分と久々じゃないか。でかいヤマでも入ってたのか」
「ええ。今日やっと終わったところなんですよ―――今回はしばらく休むつもりです」
「・・・やっと休む気になったか。ちったぁ他の連中に働かせた方が恨まれなくてすむ」
「仕事の方から舞い込んでくるんですよ」
「てめぇが独占してんのが不味いんだろうが」
「まあ、人を羨む前に能力の差を埋めるべきですね」
「・・・・・・嫌味なやつ・・・・・」
情報屋としての仕事が一段落する度ここに通い、静かな空間で好きな酒を飲み取り留めの無い話をする。
それが、今の私の日常。
―――――――だった、はず、なんですけど。
「マスター、今日は奥入ってるんですか」
「ん?・・・・あぁ、あれか」
この店の奥には小部屋が用意されていて、昔は何か秘密の会合や取引などに使われていた―――らしい。
今は寂れているためその部屋が使われる事は殆ど無いはずなのだが・・・・
「30分位前に男が二人入ってった。雰囲気からしてまず間違いなく“向こう側”の連中だろう」
向こう側。一般的に“表”と呼ばれるその対極にある世界。
つまり――――マフィア。
「どうやら誰かと待ち合わせてるらしいな。注文取りに行った時も時計と入り口ばかり気にしてやがる」
「ふぅん・・・・。妙な事にならなきゃいいですけど」
「げ、あんまし洒落にならねぇこと言うなよ?お前の勘は当たりすぎるからな。厄介事は御免被る」
「マフィアと関わって良かった例がないんです。お引取り願えませんかね?」
駄目ですか?と可愛らしく小首を傾げてみると、あからさまに嫌そうな顔をされた。失礼な。
「止めんか。売り上げに響く」
「・・・・・・・今度来るときは貸し切りでどうです?」
「5倍払ったら考えてやる」
「ケチ」
とその時。ふと扉の外に人の気配を感じた。ひとり・・・いや、二人か。
外は静かな裏通りであるにもかかわらず、足音ひとつしなかったことを考えると――
「・・・・・・・?」
「どうやら待ち人が来たようですね。・・・・・あちら側の」
「ほほー。相変わらず敏感だな」
「あら、そういうプロには劣りますよ?」
「はっ、どうだか」
そしてその予想は的中した。店に入ってきたのはこれまた怪しい男二人組だった。
・・・それだけなら。店内の連中と待ち合わせているマフィア共、というだけなら。
マフィア同士の飲み会、程度で目を瞑れたのに。何も見なかったと思えたのに。
「・・・・・・マスター・・・・・・」
「何だ?どうした」
はぁ、と深々とため息を吐いた私を再び嫌そうな顔で見るマスター。
「―――まさか、今の連中がどうとか言うんじゃないだろうな」
「ご名答。流石年季の入った中年マスターは一味違いますねえ」
「茶化すな。・・・おい、どこのどいつだ」
「中国マフィアの『熊猫』という組織でbQの李州栄。麻薬取引のブラックリストです」
「」
「何ですか」
「・・・・・・・・出来ることなら聞きたくなかったよ、俺は・・・・・・・・」
「私も言いたかないですよこんな事」
私はいざという時の為にマスターに頼んで仕込んでおいた隠しカメラの映像を通して奥の部屋を観察した。
極々たまにだが有益な情報が拾えるときもあるので、私が店に来るときだけ店中にカメラと盗聴器を付けさせてもらっている。
・・・・・奥の部屋で、四人の男達は向かい合い何かを話し合っているようだった。
「こっちの方ばっか気にしてやがるな・・・」
『熊猫』は、その可愛らしい名前にも関わらず中国では三本の指に入るほどの巨大な組織である。
だからこそこんな遠いイタリアまで出てきたこと自体が不思議だ。
まして、―――こんなセキュリティの欠片もない寂れた店を利用するなど。
単なる飲み会などというものではありえない。その様子も、はっきり言って挙動不審も程がある。
「冗談抜きで、ここで取引する可能性が高いですね。・・・まあ、昔はこんな事日常茶飯事だったんでしょう?
活気が戻っていいじゃないですか」
「馬鹿言えこの辺りは麻薬御法度だろうが。白々しい」
「ここで取引しちゃいけませんとは言ってないでしょう。別の国の方かもしれないですし」
「知らん振りをした方が賢明だろうが・・・」
「―――やっぱり追い出」
「」
「冗談です。・・・・・・・マスター、マルガリータ追加」
「・・・・・・・・おう」
なるべく低い声で、聞こえないように。
ぶつぶつと愚痴を言い合う私達を尻目に、黒尽くめの男たちはまだ話し合いを続けているようだった。
そして5分後、私がマルガリータに口を付けたその時。
事件は起こった。