この事件が、私を未来へと導いてくれたような気がする。
自ら閉ざしていた未来へ。
灰色の夢
「――――っふざけるな!話が違う!!」
突然、最初から店にいた方のマフィアがテーブルに拳を叩き付け声を上げた。
それは幾分抑えた声であったものの、静かな店内には良く響いた。
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
私は『やっぱりね』と苦笑し、マスターはカウンターに突っ伏した。その肩は小刻みに震えている。
「・・・・マスター、現実逃避してないで他の客帰してあげたら?」
一瞬にして流れる不穏な空気。まさに一触即発と言っていいだろう。
何より彼らマフィアという存在は常に武器を携帯しているものだ。・・・何かあってからでは遅すぎる。
そう思って告げたその台詞は効果覿面だった。マスターの長年の職業意識を刺激したのか。
彼はすくっと立ち上がり、不安そうに店主を伺っていた馴染みの客に目配せして静かに退出を促した。
「―――、お前は」
「仕方ないので残ってあげますよ。ここが潰れるのは私にとっても損害ですから」
「・・・・そりゃ頼もしいこって」
「いつでもカウンターに潜れる様にして下さい。事を荒立てるようであれば私が片付けますし」
「わかった」
そんな事を話している間にも後ろの連中の言い合いはどんどん白熱していった。
「・・・・貴様ら、初めからそのつもりで・・・・!」
「―――――――」
かちり、と。手の中の機械から微かに聞き慣れた音がした。
中国人マフィアが銃を出したのだ。他方も対抗して懐に手をやるが―――――遅い。
小さく乾いた音が響いた。二発。どうやらサイレンサー付らしい。騒ぎを大きくするつもりは無いのだろう。
私はただ背を向けて、手の平に収まるモニターを見ていた。
――――見も知らぬ他人を、しかもマフィアなんかを助ける義理などない。
「・・・・・・・・・・・・・行くぞ」
「ああ」
中国人マフィアは何事も無かったかのように部屋から出ると、私に目を遣ることも無くマスターにお金を払った。
標的のみ殺す。それは大きなファミリーになればなるほどその傾向があるようだ。
予定にない殺人をして、余計なリスクを負うのは誰しも避けたいところだから。
―――勿論中にはえげつない者もいて、その場にいた全員を殺してしまう場合も多いけれど。
『熊猫』のbQは前者だった。単に格下は相手にしないだけのような気もするが。
静かに扉が閉ざされると、ようやくマスターは息を吐き、再びカウンターに突っ伏した。
「うわぁ、血の海」
「・・・・・・・・・・・・やかましい」
しばらくして私は立ち上がり、奥の部屋で額から血を流して死んでいる男共に近づいた。
「取引に失敗、か。わざわざ季州栄ほどの人物が出てくるなんて・・・でも会話からして最初から切るつもり
だったようだし・・・・・そもそもこの二人、何者?」
死体の襟首を掴んで裏返し、内ポケットなどを漁る。先程出せなかった銃、そして、分厚い財布。
――――その中から出てきた名刺を見て、私は今日一番大きなため息を吐いてしまった。
「あの、マス」
「止めろ何も言うな頼むから」
「・・・・・・・・・この人達」
「次は貸し切りにしてやるから!!」
「―――ここで黙ってたらこの店潰れちゃいますよ。貸し切り無意味です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・くそっ、一体何が出たんだ・・・・」
「この人達、どうやら『ボンゴレファミリー』の重鎮です」
ばたっ。
「マスター、気絶するのは後にして下さい」
「・・・・・・・・・俺は真面目にこの店やってきたんだぞ。苦節30年だぞ」
「大丈夫です」
「何がだ。―――腹括るしかねえだろ」
うっすら涙を浮かべて死ぬ覚悟をするという、江戸っ子のような性格のマスター。
どこか懐かしさを感じさせるこの店を、私はとても気に入っている。
「だから大丈夫ですってば。『ボンゴレファミリー』は麻薬御法度。この方々はどうせ殺される身です」
ファミリーの掟は絶対だ。その人間がどんなに力があろうと、掟を破れば殺される。
――――例外など、無い。
「ボンゴレに連絡して引き取って頂きましょう。彼らは無駄な殺しはしません」
「だが、重鎮なんだろう?口封じとかされるんじゃないのか」
「・・・・・・この人はボンゴレの中でも過激派に属してましてね、新しいボスに何かと突っかかっていたようです」
過激派と穏健派。ボスが代替わりして間もない今、二つの勢力が水面下で対立している。
新しいボスが日本人であることも、強い反発を生んだ。
「むしろ見せしめに丁度良いって喜ばれるかも」
「10代目、か・・・。かなりの優男だと噂されてるな」
「―――能ある鷹ほど爪を隠す、って諺ご存知ですか?子猫だと侮っていたら実は虎の子でした、なんて」
情報は少ないけれど、あの伝説のヒットマンが育てたという人物。
只者であるはずが、無い。
「敵に回さないほうが賢明だと思いますけどね。・・・・・まあ、私は関係ないですけど」
「・・・・・前から思ってたが・・・・・お前、マフィアが嫌いなのか?」
「マフィアに依ります。勿論好きでは無いですただ――出来るだけ関わり合いになりたくないだけで」
そう言い捨てて、口を付けただけで放っていたマルガリータを一気に流し込む。
血の匂いが充満する部屋。仄かなライムの酸味が嫌に喉に沁みる気がした。
「、お前はもう帰れ」
その様子を黙って見ていたマスターはいきなりそう切り出した。
私は少し驚いて思わず振り返る。
すると、彼はさっきまで哀れなくらい悲壮な顔をしていたのに――すっかり普段の調子を取り戻していた。
「今からボンゴレを呼ぶ。―――俺が適当に説明しておくから」
「え、一人で大丈夫なんですか?」
「無駄な殺しはしないんだろう?」
「・・・・・・でも、詳しい説明求められたらどうするんですか」
「さあな、そん時はお前に連絡させてもらうか」
マスターは悪戯っぽい目を閃かせて言葉を紡ぐ。
「―――あの、マスター」
「ボス直々に動くことは無いかもしれん。ただ部下でも頭の切れる奴なら俺の穴だらけの説明に突っ込むだろうし」
「・・・・マスター、楽しんでるでしょう?」
「ははははは。・・・・俺の店を汚した仕返しだ。適当にいじるくらい、許されるだろ」
「趣味悪・・・・」
「なんとでも言え。・・・・・・ほら、さっさと出た出た」
マスターの経歴について、私が情報屋であるとはいえ余り詮索したくはなかったので良くは知らない。
だが昔はそれなりに暴れまわっていたとかなんとか。だから天下のボンゴレ相手にもこんな強気で臨めるのか。
(―――返り討ちにされないといいけど。)
と些か無責任なことを思いつつ、私は背中を押されて店を出た。
そして、当然というか何というか。
その夜のうちにマスターからボンゴレに詳しい説明をしてくれるよう泣き付かれました。