「てめ、。むさいはねーよ、むさいはよ」

「…………」

「……ちょ、真顔で黙るな、おい!リアルに傷つくだろーが!」

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

顔のあたりにびしばしと視線を感じる。相手の息遣いまで伝わる距離。―――広がる沈黙。

観察されている?そう思いはすれど、私にはなす術がなかった。

 

シャマルに促された時と同じように座り込んでいる上に、恭弥によって顔を無理矢理上に持ち上げられたままである。

それに従って重心が後ろに移動したため、足を使うこともできない。武器を持った右手は言わずもがな。

左手はまだじくじくと痛みを訴えている。動けない……そんな私の顎を掴む指先は驚くほどに熱く、

視界が塞がった状態ゆえか余計その温度が生々しく現状を思い知らせてくる。

 

 

――心臓が、うるさい。

 

 

それがどういう意味なのか判断がつかないくらい動揺している。平静を保てない。

あまりにも、そう、あまりにも色々なことが短期間に起こりすぎてしまった。

幻覚のこと、眠る患者のこと、シャマルのこと、ハルのこと、……右目の、こと。

 

それに追い打ちをかけるような雲雀恭弥のこの行為。彼が次に何をするのか、が全く予想できないという事実。

挑発にも乗らない、暴力に訴えない、これで一体何を考えているというのだろう。分からない。幼馴染なのに。

……十年の月日を経て再会した時でも、かつてと変わることなく―――そりゃ多少落ち着いたと

感じなかったでもないが―――恭弥は恭弥だと思えたのに。……駄目だ。やっぱり分からない。

 

その事実は私を混乱の坩堝に叩き落とした。

 

 

(なん、でっ……!)

 

 

纏まらない思考。暗闇の中で何も分からないまま。

じわ、と涙が滲むのを感じたのと、同時に、……再びぼそりとした呟きが耳に届く。

 

 

 

「……なるほど。三角関係か……」

 

 

 

小さな小さなそれは、以前のことを考えたのかとても控えめで大人しい声量だったが、近くにいた私や恭弥には

ばっちり聞こえていた。本当に、どこまでもふざけた男である。いやしかし、意外にも彼は役に立った。

ああ褒めてやろうとも!馬鹿げた物言いへの怒りにか、恭弥の指の力がふっと緩んだのだ。

 

もちろんそれを見逃す手はない。私は痛みをこらえつつ、袖の中に隠したナイフを左腕を振ることで手の中におさめ。

その勢いのまま――逆袈裟懸けに切り上げてやる。

 

 

 

「っ、!」

「……っなに、を、言うかー!」

 

 

 

反射的にトンファーごと距離を取った恭弥に対して後追いはせず、そのまま当初自分が向いていた方にぐるりと身体を

反転させ立ち上がる。そして投擲。また素っ頓狂な悲鳴をあげたゾンビ男に溜飲を下げ、たようなふりをする。

恭弥から離れられれば何でもよかった。まったく、とぶつぶつ呟きながら数歩進んだところで―――

 

ごんっ、と己の足元で鈍い音がした。

 

 

 

「ぅっ………!」

 

 

 

次いで痛みを自覚する。音から察するに、爪先を思い切りコンクリート片かなにかにぶつけてしまったのだろう。

 

私はしばらくの間、声も出せずに悶絶した。……おかしい。

記憶を探っても、こんなところに障害物などなかったように思うのに――。

 

 

 

「……あんた、案外ドジなんだな」

「や、かましい!」

 

 

 

呆れの滲む言葉へ即座に吐き捨てる。あの体温が離れたからか、その頃には、苦しいだけでしかなかった

幼馴染に対する激情もなんとか落ち着いており、私は深呼吸を繰り返した。取り繕うだけの余裕は、まだ残っている。

 

冷静になってよくよく考えてみれば、大した話ではないのだ。

爆破事件の後、相手ファミリーに乗り込んでいって――先に居た恭弥に会うことを躊躇したことのように。

右目が見えない?だからどうした。Dr.シャマルと同じように、「私の弱点だから口外するな」と釘を指しておけば

いいだけのこと。むしろ治療云々を言い出さない恭弥の方がまだ安心できるというもの。

 

そんな答えにたどり着いてしまえばすっと楽になる現金な自分。だが、三十分にはまだ遠い。

さてどう切り出すべきかと考えて私は、そこに在ると「知って」いる壁にゆっくりと慎重に背を預け、

恭弥が居るだろう方へとりあえず笑顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、彼女は自分がどんな表情をしているのか理解してはいないのだろう。

 

雲雀はにっこり笑顔を浮かべた―――つもり、なのだろう幼馴染を見つめながら思う。

一瞬だけ滲んだ涙はすっかり姿を消し、口元は弧を描き(まだ爪先の痛みが残っているのか

少し引き攣ってはいたが)唯一確認できる右目も細く、確かにそれは“笑顔”だった。だが。

 

 

(まるで造られたモノのように)

 

 

感情が見えなかった。読み取れない、ではなく、完全に存在しないのだ。笑みの片鱗すらない。

些細な違い?とんでもない。左目を隠しただけで――ただそれだけで、恐ろしいほどの変化だ。

この暗さでさえ遠くからでもその異常を感じて、どうしても近くで確かめずにはいられなかった。

 

……それが義眼であったのなら、ここまで違和感を覚えたりはしなかったかもしれない。しかし現実は、

ソレが間違いなく生身の、彼女自身が生まれ持った部品であると示している。

雲雀の無遠慮な行動に驚いたり怒ったりしても、感情が籠もっているのは口から出る言葉だけで目には何ひとつ宿らない。

視線が合っていると感じるのに、こちらを見ている気がしない。

 

 

(……まるで、)

 

 

“見えて”いないかのようだ、と。思い切り爪先をぶつけた様子に疑惑を持つ。あれはに喉を切り裂かれた男が

崩れ落ちる時に倒した廃材だ。いくら片目を眼帯に塞がれているとはいえ、普段の彼女なら絶対にしないような失態だった。

 

雲雀はが口を開くのを待たず、視線を少し左に流す。倒れている男。

致命傷を受けても尚この短時間で回復するといいうことは、こいつが“そう”なのか――?

 

外見上は普通の人間となんら違うところはなさそうだった。男は、喋りはするが身体を動かすことはできない。

周囲に刺さる、彼女が戯れに放った凶器のせい――ではなく、Dr.シャマルが施した某かの病のせいだろう。

彼によって能力者は全員動きを封じられている。どんな病で、かは分からない。

口を封じている気配がないのは、自殺はないと踏んだのか。ともかく、そのおかげで彼女に関わる危機は去った。

シャマルが現れてからの連中はすっかり大人しくなってしまい、これ以上拘束する必要もないとの判断である。

 

唯一、鎌を武器としていたらしい青年だけが眼光も鋭くこちらを睨みつけているが……それ以上に背に負う子供が

気になるらしく、敵意はあっても闘争心は失われているようだった。山本はそれを本部に報告しにこの場を離れ、

シャマルは……最初から動かず、何故か黙ったまま、離れたところでこちらのやりとりを見守っている。

 

 

(違う、か。を観察してる、ってわけ?)

 

 

彼の視線は間違いなく『医者』のものであり、それを考えればは『患者』になる。

凄腕の医者がいつまでも目に血液が入った程度のことを心配する筈もなく―――だとすれば彼の本当の目的、は。

 

 

 

「……ねぇ、恭弥。聞いてるの?」

「うん聞いてない」

「な――っ!」

 

 

 

病気。シャマルは彼女の何かをそう表した。そしてそれが例の患者の治療に役立つのだという。

はあの屋敷に行ってから顕著に様子がおかしく、なにを考えているかわからない。

 

患者のせいか、それとも骸の幻覚のせいか―――。

 

声にはっきりと怒気を乗せて雲雀を詰る彼女の右目はやはり、硝子玉のように無機質で。

胸に蟠る気持ちの悪さはいつまでも消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――この野郎、冗談じゃなくガチで聞いてない。

 

私は開いた口が塞がらない思いだった。間髪を入れずさも当然のように速攻で返ってきた答えに目元がぴくりと動く。

流すような、我ここにあらずな声音。と、全く逆方向の地面からまたあいつの声が聞こえてきた。

 

 

 

「まあ、そういう時もあるさ」

「……貴方に慰められる謂われはないんですけど?」

「そう言うなよ、俺のことあんなにばっさりヤっといて」

「……………」

 

 

 

この男と話していると何故か頭痛がする。私は眉頭を押さえてナイフを投げたい衝動をなんとか心の奥底に沈めた。

流石に拾いに行けない今の状況で、これ以上手持ちが寂しくなるのは危険極まりない。

 

……とはいえ、だ。Dr.シャマルが何かしたにしろ、どうして連中はこうもあっさりと降参しているのだろう。

口が利けるならもっとこう憎まれ口を叩くとか、負け惜しみを言うとか、無駄だとわかっていても一矢報いようとかしないのか。

彼らにとってのにっくきボンゴレがほいほいやってきたのに?

 

 

 

「本当に、……やる気あったんですか」

 

 

 

人の話を聞かない、聞くつもりがない恭弥はもう放置でいい。助け舟を出さなかったDr.シャマルも知るか。

山本にいたってはどこに居るのやら。すっかりはぶられた私は、密やかな、出来る限りゾンビ男にしか聞こえない

ような声量でそっと呟いた。答えを期待していたかどうか自分でもわからない。それはいっそ独白に似ていた。

 

 

 

「ない、って言ったら、どうする?」

「刺します」

「こわ!」

「もしそうなら、――とんだ茶番ですよ」

 

 

 

馬鹿馬鹿しい。沈黙は雄弁に飲み込んだ言葉を語る。ふと、ゾンビ男が笑うように息を吐く気配がした。

彼はいつの間にか全く咳き込まなくなっていて、それが傷の治癒を表しているなら驚異的なことだった。

 

どんな原理かは知らないし知りたくもない、と思う。どこぞの研究者共にとっては垂涎ものかもしれないが。

 

 

 

「……あんたを人質にする気なら、あったさ」

 

 

 

こいつのどこか達観したところはもしかしたら、そういう体質から来るものかもしれない、と。

考え事を終えたらしい恭弥からのもんの凄く物言いたげな視線を、さっきの仕返しにと黙殺しつつ―――

 

私は、ゾンビ男の静かな声に耳を傾けた。

 

 

 

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