何かを得ようとすれば、多かれ少なかれ対価が必要になる。
そして私は、………今更自分の生き方を変えることはできない。
灰色の夢
後ろ暗いことがなければ、ついでに私のマフィアに対する拭い切れない恐怖心がなければ、リボーンという少年はとても頼もしく感じる存在である。
あれだ、いわゆる「味方ならいいけど絶対敵には回したくない」タイプ。
頭の回転が恐ろしいほどに速く、あえて言葉にしなくてもこちらの疑問を正確に読み取って答えてくれるのだ。
私が知る必要のない――あるいは知ってはいけないものを綺麗に排除したうえで、だが。
もちろん、その際向けられる無言の圧力には逆らわないほうがいい。
「つまりはボンゴレ極秘機関のひとつってところか。だから、あまり出歩くんじゃねーぞ」
「………私だけ別のところで待機ってわけにはいかなかったんですか」
「そんな暇は無ぇ」
ははぁ、ですよねー。などと私は適当に頷き、ぐるりとこの部屋、というより建物そのものに意識を伸ばした。
リボーン曰く、ここはボンゴレ秘蔵の組織が据えられている特別基地だそうだ。情報系?研究系?どういうものなのかさっぱり見当がつかない。
下手にうろついて機密情報ゲットするんじゃねぇぞ、あぁ?と暗に―――でもなく釘を刺されたが、彼は私をどんな人間だと思っているのだろう。
極秘などという危険な匂いしかしない情報なんて、どうしてもどうあがいても必要なんだと判断できない限り手は出さないというのに。
この基地自体に興味はない。本当、パーティ会場爆破事件から私の信用が軒並みだだ下がりな気がしている。
内心憮然とする私に、次いで、他の連中はちょうどここの一階下の部屋で例の取引の詳細を話し合っているとの情報がもたらされた。
(真下、ねぇ……)
ふと視線を床に落とす。話し声が聞こえないのは当然としても、息を潜め探っても気配ひとつ感じられないところを考えるに、
この建物はよほどしっかりした造りになっているようだ。さぞセキュリティもしっかりしていることだろう。出歩くことさえ難しいかもしれない。
となればまさか床をぶち抜くわけにもいくまいし、と冗談めいた―――可能ならばそうしたかもしれない―――戯言を
口の中だけで転がしていると、リボーンが少し長く息を吐いた。
「、お前がこの騒ぎに巻き込まれたのは俺達の落ち度だ。今の状況に不満もあるだろう、が」
「―――――――」
が、の後に続く言葉なんて皆まで言われなくてもわかっている。ええもちろん。いやいやわかってますってば。ほんとに。当然でしょう?
笑みに乗せた私の返答は、二人きりの寂しい部屋にものの見事に空々しく響いた。自分でも「あ、ないわー」と思うほどにまるで信憑性がなかった。
こちらの体調とか現状を差し引いて好意的に考えても、どうにも嘘くさい。
「…………?」
リボーンは明らかに疑いの目でもってこちらを見ている。迂闊に動けないのはわかりきっていた。
だというのに、八方塞がりなのにも関わらず情報を諦めきれない私の未練が、他に道はないのかと私を内側から責め立てる。
………道。欲しい情報に値する対価を差し出すこと。
(差し出せる何かがあるとすれば、それは)
それは―――……。
「や、流石に、これ以上ボスを刺激したくないので大人しくしてます」
乾いた笑いが喉の奥で弾けた。選べるはずの無い道だ、相手と同じ土俵にあがることすら厭っているのに。
代わりに一部だが本当のこと(怒れるボスを刺激したくないのは紛うことなき事実である)を言えば、
やっと少年はゆるく息を吐き出して帽子を目深に被りなおし、私はなんともいえない圧力から解放される。
「――――手間を、かけさせるなよ」
そう意味ありげに呟きつつ悠々と拳銃を手にして弾を込め始めたかの伝説の殺し屋の姿から、さりげなく、そっと、目を逸らした。
人と人との間には、相性というものが存在する。
その良し悪しがどうであれ人と相対する際にはそれぞれ違った“やり方”で応じなければならないと思う。
たとえば、リボーンと対峙したとき。
先程のような二人きりではなく他に人……できれば挑発に乗ってくれやすい誰かさん……が居てくれれば心情的にも物理的にも楽になるだろう。
逆にかの幼馴染と対峙したときは、他の人間が居ないほうが話を進めやすいと思うのだ。つまり、えぇと、その、あれだ。
「あー、お前がそういう症状―――や、“状態”の方がいいか? に、陥ったときのことを話しちゃくれねーか」
また右ストレートを叩き込まれる事態を避けたいのか、当事者以外には非っ常に分かりにくい表現でもって問いかけてくる医者。
比較的大きな机を挟んで椅子に座る彼はやはりどこまでも医者でしかなく。下手に出てはいるものの眼差しは真剣そのものである。
私はどんな言葉で口火を切ればいいのかわからず、時間稼ぎに目の前に置かれた紅茶を口に含んだ。
ソーサーにチョコが添えられたそれは今居る部屋の隅で壁に背を預ける六道骸が手ずから淹れたもの。
……自白剤混入をちらと疑った私は悪くない。絶対悪くない。
(……美味しいけど? あったかくてちょっとほっとするけど?)
疲労した体に染み渡るじんわりとした熱。無意識に息を吐いて、その音の大きさにぎくりと身が竦む思いだった。私の葛藤に我関せずと―――
そもそもこの会話すらどうでもいいというように背を向けて骸とは正反対の場所でソファにふんぞりかえる幼馴染を蹴り飛ばしに行く気力もない。
ほんと出て行けばいいのに。かといってこの話し合い………尋問? に積極的に参加されても困るが。
(つーか、山本は! 天然染みてるけど数少ない良心どこ行った!)
居たと思えばいつの間にか居なくなっている。居ないと思えば以下略。まあ、幹部の一人だしこの件だけに
いつまでもかかずらうわけにもいかないだろうが―――リボーンも居ないことが私にとって救いになるかどうか。
あの後、少年は目が覚めた私の体調がだいぶ良くなっていることを確認すると、
『あぁ、……いや、シャマルの野郎がお前に話があるつってたぞ』
などと不吉な言葉を残して去って行った。これからどうするのか、ボス待ちですか? なんて聞かなきゃよかった。
ボスが来たら起こしてくださいとか言ってふて寝すればよかった。撃たれたかもだけどさぁ!
「――――なぁ、」
まるで聞き分けのない子供に対するような、宥めるような響きが忌々しい。絆されると思ってんのかこら。
むさいおっさんには当然似合わないが、医者としてなら、…………。どうしてもため息を吐かざるを得ない。
前門の虎、後門の狼。多勢に無勢。孤立無援。そう、つまり、その、何が言いたいかというと。
(あ、これ詰んだ。明らかに詰んだ)
絶体絶命。頭の隅でそんなことを思いながら、私は無言のまま、不遜な態度で骸にカップを差し出しお代わりを要求した。
リボーンが去ってどれくらい経ったか……釘を刺された以上自分から動くに動けず、じっとしているしかなかった私をシャマルが直々に迎えに来たので
大人しくついていったのはいいものの、案内された先にゾンビ男達はいないし待ち受けていた厚顔無恥を地で行くような二人に思わず半眼になった。
嫌な予感がしたそこに、この質問である。不機嫌を装いつつ、実際はどう対応していいかわからないだけで――――
間を置かず差し出された新しい紅茶にアリガトウゴザイマス、とわざとらしい棒読みで応えておく。
(症状、に状態、………ねぇ)
律儀な男だと、思う。何度も殴ったせいかもしれないが、私に気を遣って話しにくいだろうに本題をぼかして話を進めている。
こちらの機嫌を伺うよう。決定権は私にあるのだと言わんばかりだ。幻覚に耐性がないと露呈した以上、
六道骸という幻術使いがいるんだから応用で口を割らせることも難しくはないだろうに。あぁ、…………やりにくい。
「こうなったときの状況、ですか――――」
ものすごく昔のことなので、と記憶を探るふりをしながら思考を素早く巡らせる。私の目的―――今最も優先されるべき目的は、
ゾンビ男達のファミリーを裏で操っていた誰か、が、本当にあの『フリツォーネ・ファミリー』なのかどうかを確かめること。
手っ取り早いのは、こちらが持つ連中の情報をボンゴレに明け渡し、これから行われるだろう調査に強引にでも捻じ込ませてもらう作戦。
でもこれは無理。リスクが高すぎるし、なにより確かめた後のことを考えると深入りする姿勢をボンゴレに見せるべきではない。
とはいえ、ここで何もしないという選択肢もありえない。道が完全に閉ざされるからだ。その前に、何かを、差し出さなければ―――。
(差し出したところで、望むものが得られるという保証はないけれど)
これが欲しいと態度に表せば墓穴を掘るだけだと知っている。Dr.シャマルに確信を持たせてはいけない、それが身震いするほど怖い。
医者として、何よりひとりの人間として、友人を救いたいという彼に匹敵するだけのものを私は持ち合わせているだろうか?
眠り続ける青年の治療に協力しないのは、かつて私が選び取った道が間違っていたと思い知りたくはないから。
家族を見捨てて逃げてきた私は正しかったのだと思っていたいから。
他に方法はなかったのだと、二度と目覚めないからと諦めて『殺した』ことを、いつまでも正当化していたいから。
そんな卑怯な私に、彼に真っ向から対峙できる度胸も、彼の提案を跳ね除けていいだけの“正当な”理由もあるはずがない。
もちろん、だからどうするという話でもないが。ただ私は基本的に保身でしか動いていないから、だから、
「んー、そうですね……。有体に言うと、普通に夜寝て、朝起きたら、こうなってました」
「…………。………事故、じゃねーんだな?」
「事故、ではないですよ」
病気でもないけど。言外に音もなく吐き捨てたが、以前含めた嘲笑にも似た感情はそこから欠片も残らず消え失せていた。