六道骸――――今、彼と顔を合わせても目眩はしなかった。痛みも、ない。

ただ、痛みとなる以前の、圧迫感のようなものはやはり確かに感じている。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

繋がりを失くしてしまってはいけない、と、まずそう思った。

Dr.シャマルの提案する何もかもを拒絶することは簡単だ。そうすれば私はいつも通りの日常に還ることができる。仮初めの?……何の意味もない。

事態が危険性を孕んでいると知りながら目を瞑るなんて、死への道筋を自分自身で選ぶようなもの。

 

シャマルとの繋がりを、けれどフリツォーネと関わらずに保ち続けるにはどうすればいいか?

別に存外難しいことではなかった。彼が何度も私に望んでいる――――『協力』、を、利用すれば。

 

 

 

「とりあえずですね。いい加減、そちらの言う協力とやらの“具体的な”話をしてほしいんですけど」

 

 

 

そうでなければ判断のしようもない、と。

まるで内容がわかれば、それに納得すれば、協力しないでもないと期待を持たせるように私は言葉を続けた。

怪しいことには手を貸したくないのだと。警戒しているような体を装って。

 

 

 

「生きたまま解剖とかは流石にちょっと……」

「おま、なにグロい想像してんだ! 俺がそんなひでーことするような男に見えるってか?!」

「――――――……」

「だ、から、マジで真顔やめろっつーの!」

 

 

 

私のいっそ軽薄ともとれるだろうふざけた態度――通常運転とでも言えばいいのか――は、こうして律儀に反応してくれる人間がいると

非常に便利である。芝居がかった口調も真面目くさった言葉も、全てを包括して単に『胡散臭い』で片付けられるから。腹の探りあいには丁度いい。

 

ここ最近でもう幾度目かの真顔やめろコールににっこり笑って応えつつ、それで?と目線だけで話の続きを促せば、

予想通りのリアクションが返ってきた。内心、なんだかな、という気分だ。上手く乗られているだけのような気がする。

 

 

 

「話が前後したっつーか、そうだな、遅くなったことはまず謝る。一概に治療っつっても、お前に直接どうこうするというよりは」

 

 

 

疲れたように溜息を吐き、がりがり頭を掻きつつ医者は口を開いた。情報を整理しながらの説明なのだろう、彼は私の方を見てはいない。

メインはあくまでもあの眠り続ける青年の治療であって私のそれではない筈だ。そこは追々きっちり主張していくのも忘れずに。

 

 

 

「やりたいことは山ほどあるんだが、優先的な手順、となると…………」

 

 

 

第一に、脳波を更に詳しく測定する。同じ数値であるにも関わらず一方は植物人間状態、一方は―――「障害」はあれど健康体であることの

違いは何からくるのか。次は意識下無意識下での数値を云々。他にも血液を採取して云々云々。

 

状況故に書面に残したくないという要望には仕方ないと頷き、それ以外は話半分に聞き流す。

傷の手当ては出来ても、専門的な内容は今も宇宙語にしか聞こえない。

へえ、そうなんですか。ほうほう。ふーん。子供っぽい私の相槌を全く意に介することなく、Dr.シャマルは語り続け、そして。

 

 

( 『―――そしてその異常とも言える、』 )

 

 

言葉を一旦切り、ちらりと骸を見やった視線にやはりと私は嘆息した。「脳」をどうこうする以上、検証する価値はあるという見解だった。

あれはどう考えてもおかしい、なんて私のような素人でも口に出せる。あの屋敷でわかった、私の幻覚に対する耐性のなさ―――は。

 

 

 

「最後のにはちょっと、賛同しかねますけどね、……正直」

「あー、まあ、無理強いはしねーよ」

「少し―――いえ、割とかなりもの凄く苦しいんですよアレ」

「ああ。わかってる」

 

 

 

苦しいのはもちろんのこと。吐き気と目眩と頭痛と―――出来得ることならもう二度と体験したくないなと思うと同時に、私にはある予感があった。

多かれ少なかれ、あるいは直接繋がってはいなくても。………それが治療への道である、と。何かの手掛かりになるだろうという予感。

 

 

なぜなら、あの日、……意図せず骸の幻覚に巻き込まれたあの日。

ほんの数分の間だけだが、この右目はほんとうに“視えて”いたのだから―――。

 

 

私は私の犯した罪故にそれを教えない。道を指し示しはしない。からからに乾いた口の中が気持ち悪くて、温くなった紅茶を流し込んだ。

ふと、目に付いたお菓子にもついでに手を伸ばす。美味しい。チョコレートが甘い。―――――?―――いや。……違う!

 

 

(………あ、あ、悪趣味にもほどがあるだろ!!)

 

 

衝撃だけが身体を突き抜け、叫びは音にならなかった。

さくりと口の中ほぐれていくお菓子、舌に残る触感は粉っぽく、それはチョコレートのものではありえない。その風味すらない。

六道骸と再会したスーパーであった出来事から、骸=チョコレートなんて思い込みがあったことは否めないがしかし!

 

使われた力が弱いせいなのか右目には何の影響もないし頭痛もしない。いたずらにしては手が込んでいて、検証にしては、……お粗末すぎる。

何をされたか完全に理解してじろりと原因を睨みあげると、予想に反して少し困ったような視線が返された。え、なにその顔。

 

 

 

「つくづく、予想の斜め上を行かれる方ですね、貴女は」

「はい?」

「影響を受けやすい、つまり単に幻覚にかかりやすいだけなのかと思っていましたが。どういう法則性があるのか……」

 

 

 

あらぬ方向に視線をやりながら腕を組んで考え込む幻術使い。思案気なその様子は生真面目な印象を醸し出していた―――

実際彼がやらかしたのは、プレーンクッキーをチョコレートに偽装するという意味不明な行為であったのだが。

 

 

 

「こ…っら、骸、勝手に何やってんだ!」

「おや心外ですね。お話を聞く限り、治療に必要なのでは?」

「流石に命に関わるような検証はできねーよ?!」

「ええ、ですから、こういう可愛らしい悪戯でやってるんじゃありませんか」

「悪、戯……?つーか、仕掛けたのは話聞く前だろ……」

 

 

 

クフフと笑う青年は全く悪いと思っていないようだった。恐らくは詰ったところでいかほどの痛痒も感じないだろう。

考えても無駄だと意識を切り離し、私は骸から早々に目を逸らした。

 

 

 

目で認識したものを脳が正しいと思い込む。幻覚にかかったままなら、これをチョコレートだと少しも疑うことなく飲み込んだのだろうか。

その違いについて個人的に気にならないわけではないが、……あの体調不良を思うと試そうとは思わない。

それ以前に、こんなことをして私が更に態度を硬化させるとは考えなかったのか?

そもそも権力を笠に着た半強制だから硬化しても意味がないってか? あるいはまさか、揺さぶられてる?

 

 

(……や、遊んでるだけ、かな)

 

 

六道骸がDr.シャマルに協力する明確な理由は見当たらない。

大して接触していないが、そういう……人助けのような事に、自ら興味を持つような男には思えなかった。

そして今の段階で―――私が難色を示すことを承知していたようだし―――医者が彼にそういう協力を求めるとも。

 

頬杖をつくような格好で軽く右目を隠す。痛みはない。光は見えない。いつもと何も変わらない。

四十度少ない視界に、恭弥と骸の両方を入れることはかなわない。

位置的に今視認できる幼馴染に動く気配がないことを確認してから、私はそうっと左目を閉じた。

 

――――繋がりを消してはいけない。

 

選べる道は少ないのだ。たとえそれが一度忌避したものであっても、もう、状況は既に変化してしまった。

私は生き延びるために、その変化を見逃してはならないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その部屋に接する廊下はしんと静まり返っていた。幹部に対してのそれとは比べ物にはならないが、

ボンゴレファミリーの中でも比較的セキュリティの強い場所。医療班が常駐する区画。

 

 

 

「よっ!今戻ったぜ、獄寺」

「……お前か。ったく、この状況で暢気そうなツラしやがって」

 

 

 

片手を挙げてにかっと笑う同僚の姿、その明け透けない能天気さにいらっとしかけたが、表面的なものだけが全てではないともう既に知っている。

投げ返した辛辣な字面の言葉に力はなく。獄寺は一瞬視線を向けただけで再び顔を正面に戻した。

 

 

 

「えーと、……ツナは?」

「まだリボーンさんと上で話してる。終わり次第、だそうだ」

 

 

 

お互い、約束などしていない。示し合わせたわけでもない。自然とそうなった。ここに、来た。

 

―――――――三浦ハル。

 

彼女とは、中学時代、日本に居た頃からの付き合いだった。

笹川京子と共に、戦闘能力がなくても主に精神的な意味で自分達を支えてくれていたとはっきり言える。

調子に乗らせるといけないので伝えてやりはしないが。友情のような、ある意味“家族”のような。そういう不思議な連帯感を持っていた。

それが今はどうだろう? イタリアに来てからどれ位経った頃だか、彼女との間に、縮めようのない距離を感じ始めたのは――――。

 

(こんなことになっちまってから、………いや、だからこそ、か?)

 

自然と脳裏に浮かんだ答えに思わず舌打ちがこぼれた。煙草を取り出しかけ、ここがどういう場所なのか思い当たり手を止める。

静寂の中、息を吸い込む音がやけに響く。―――距離を感じていたのはお互い様だったと思う。

地位の差はあった、顔を合わせる機会が激減した、けれどそういうことじゃない。避けたわけでも避けられたわけでもなく、ただ。

 

境界線。目には見えぬとも表と裏との間にはっきりと引かれたそれ。

自身を護るためでなく誰かを護る為でなくただそうする為だけにそうしたとき、道は分かたれたと理解した。

その時まで本当の意味ではわかっていなかった、でもそれでいいと思った。

彼女はそれでいいと、イタリアの、マフィアの世界に足を踏み入れるというその勇気だけで十分だと。それだけで、

 

 

(――――救いに、なる、と)

 

 

彼女が本当に望んでいることを知っていた、その未来に繋がる道を塞ぐことに躊躇いはなかった。

上になんか行かなくていい、ずっと、ずっとその箱庭のような世界で。そう望む主と定めた人の声なき声をずっと傍で聞いていた。

彼と彼女を天秤に掛けたとして、獄寺隼人が、山本武が、彼女を選ぶことは――――ない。

 

 

 

「………行くぞ、山本」

「――ん。わかったのな」

 

 

 

ない、けれど。

失うことを、思えば。

 

獄寺と山本はある決意を胸に、三浦ハルが休む病室の扉に手を掛けた。

 

 

 

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