精密機械に囲まれた部屋の中、横たわる自分。

 

まるでいつかのようだと―――思いかけてやめた。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

電子音が僅かに耳に届くだけの、薬品の匂いもしない生活感のない空間。

けれど中央奥に備え付けられた医療用ベッドはひどく上質なもので、普段であれば即眠りに落ちそうな肌触りの良さだった。だがしかし。

今はとてもとても眠れるような精神状態ではない。緊張のせいで支障が出るかもしれないと、なんとかして力を抜くべく努力している真っ最中である。

矛盾もいいところだ。―――静寂が焦りを増長させる。早く落ち着いてさっさと終わらせたいのに、そう上手くはいかないのがもどかしかった。

 

この場所に誘導されてDr.シャマルと二人きりになるとすぐ、検査を受けるにあたっての注意事項や使う機械のそれぞれの目的などの説明があった。

中でも食事制限……なるべく患者と近い状態でデータを取りたいから、とこれから水以外点滴で過ごして欲しい旨を聞いた時には

思わずかぶせるように聞き返してしまった。はぁ? の一言である。

 

この通りだ、頼む! とか言いつつ頭を下げられてしまったので、詐欺だ陰謀だ冗談も大概にしろよおっさん―――をもう少し丁寧な言葉にして

ひとしきり騒ぎ、貸しをひとつゲットしておいた。とはいえこんな年下の小娘相手にああも簡単に下手に出てくるというのは、結構卑怯だと思うのだが。

そういったことへの腹立ちもあり、また、馬鹿正直に答えられることでもないので、

再び右目の機能を完全に失った時のことを聞かれても『覚えていない』の一点張りを貫いている。

 

 

 

「なにしろ、当時はまだいたいけな幼子だったものですから」

「まあ、流石のおまえにもそういう時代はあったよな。流石に」

「―――……」

 

 

 

うんうんともっともらしく頷かれても反応に困る。ふと、この男はどこまで知っているのだろう、と疑問が湧いた。

フリツォーネのことではなく、フィオリスタのことについて。

私がそのファミリーに「何をした」のか―――ボンゴレ側はある程度既に知っている、キャバッローネ側も。その双方に繋がるDr.シャマルは……?

 

もちろん彼らがみだりに話すとは思っていないが、情報部主任が情報屋『Xi』のことを知っていたように情報とはどこから流れるかわからないもの。

どこまで把握しているのやら……疑わしいと思いながら、ふざけ気味の適当な相槌ひとつであっさり退いた医者を横目で見やる。

 

 

 

「何か思い出したら教えてくれ」

「……はいはい、“思い出し”たら、ですね」

 

 

 

答えなど端から期待していないのか。脳波のデータが取れればいいということか。

どういう考えがあるにしろ深追いする方が危険だ、とこちらも同じように適当な返事を返せば話題は別のものへと移っていく。

そうして全ての説明が終わると、これでもかと存在感を示していた高級医療用ベッドにエスコートされよくわからない機械を頭につけられた。

 

促されるまま横たわり……思うことはただひとつ。

私はこれから少なくとも三日間、風邪という名目で仕事を休み、ここ――例の怪しさ満点、外出厳禁の極秘機関――に泊まりこまなければならない。

 

全く予想外の展開である。それもこれも、この短時間で見違えるような態度を見せたあのへたれマフィア十代目ボス、沢田綱吉の差し金だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

リボーンが出ていった後、Dr.シャマルが部屋を訪れる前。

部屋に用意されていたタオルを使い血だの土だので汚れていた身体を拭きはしたが、服の方はどうしようもなく我慢するしかない。

すると見ていたのかというような良いタイミングで、ここで働いているだろう女性が差し入れと称してひとつのスーツケースを持ってきた。

 

見知らぬ人間、自分が手負いだということも相まってぶっちゃけ警戒した。

だが、私が反射的に礼を言ったのを聞くや否や荷物をその場に置き、颯爽と出て行かれてしまい出鼻を挫かれる。

 

極秘というくらいだ、セキュリティのしっかりしている場所だろうからそこまで心配しなくてもいいだろうが……念のため、

スーツケースを常備している爆発物などの簡易検査機で調べてから開けた。そう、念のため。

中には非常に有り難いことに、女性用スーツが一式と真新しいシャツがたくさん入っていた。その数、八枚。

この時点でん?と引っ掛かりを覚えたのは事実だった。

 

 

(妙、というか……予備にしてやけに多いような……まさかサイズ違いを揃えて?)

 

 

とりあえずとシャツを出すと、その下にはシャンプーリンスを始め、化粧水下着その他諸々という所謂お泊まりセットがぎっしり詰められていた。

それも、明らかに数日分の。下手をすれば一週間分にもなるか。

 

んん? いや確かに、これから最大の難所であろうどこぞの十代目と対面しなければならないことは覚悟しているが、泊まりとはどういう……?

もちろん一日程度ならまだわかる。セキュリティのためと携帯などは没収されていて正確な時間は分からないが、

リボーンの言うことが正しいとすると、記憶にある景色を考えればこの時点で真夜中はとうに過ぎているはず。しかし数日とはこれいかに。

 

釈然としないものを抱えながらも早く着替えたいのは本当だったので、私は綺麗に畳まれたそれに遠慮なく手を伸ばした。

 

 

 

 

それから医者に会って、―――譲歩を決めて、ものすごーく嫌な顔をしてやりつつ協力すると頷いて。

ほっとしたように肩の力を抜く彼に、左目をもう一度診せろと言われて特に反論せず従ったのは、外での医者の言葉が気になっていたからだ。

 

『ファミリーがファミリーだから』。

 

人体実験でファミリーを成り立たせている連中のことだ、禁止されている薬物や有害な危険物を湯水のように使っているに違いない。

私にとって、左目を失うことは文字通り死活問題である。欠片でも懸念が存在するなら、それを取り除く為にできることは何でもしよう。

………たとえそこに別の意図があると知っていても。

 

 

 

「―――よろしく、お願いします」

「おう、まかせとけ」

 

 

 

頬に無骨な男の指がそっと伸びてきた。医療に携わる人間らしい、優しい力。

光の弱いペンライトが幾度か顔の前を行き来しているのを感じながら、ある意味これは急所を握られている状態だなとぼんやり思う。

 

 

 

「これから、………」

 

 

彼にその自覚があるのかないのか――――距離を詰めた状態のままで、医者は言った。

 

 

「……ここに、“十代目”が来る。おまえには治療に協力してもらうわけだが、。今のおまえはボンゴレファミリーの構成員だ。

このことはきっちり、“上”に話しておかなきゃなんねえ」

 

 

 

当初俺が想定していたより話がデカくなってやがる。だから。それゆえに。

言葉と共に、自然な動きで左目の瞼を押さえられ、暗闇が訪れた―――完全にではなく。

照明の光が彼の指の隙間から瞼に差し込み、視界にちらほらと赤色が広がった。何をされているかは見えないしわからない。

ただ右頬に僅かに熱を感じることからおそらくは診察が右目に移ったのだろう。そっちは許していない……が、抵抗も、しないことにする。

 

 

 

「おまえにとっちゃ、ごめん被りたいだろうことは充分理解する。だがな、もう俺個人の問題にはできなくなっちまった」

 

 

 

わかってくれ。シャマルの重ねる言葉は、私に対する慰めでしかない。ただ宥めているだけ。それだけ。

私は私の目的の為に譲歩すると決めた。さあ、なら、どこまで? どこまで踏み入ることを許す?

 

 

(私がここで嫌がったって無意味だ。事は覆らない。それに、いつか知れる。いずれ知れる。十代目と幹部連中が

恭弥みたいに闘うことを生業にしているというのなら、……そういうことなんだから)

 

 

強いということ。観察力があるということ。見抜く力があるということ。相手の弱点を嗅ぎ分ける―――それこそ本能の部分で。

私は視界を塞がれたまま、あえて取り戻そうとはせず、

 

 

 

「そこの寝てる人か、」

 

――――――意識だけを移動させる。

 

「そこの悪戯大魔王にでも命令させればいいんじゃないですか。私に拒否権はないですし」

 

 

 

彼らのどちらかが『情報の開示に同意しろ』とたった一言告げればいいのだ。

情報部情報処理部門第五班一班員の私に抵抗の余地はない。ほんの少しでさえ。はいこれで万事解決、どこにも問題はないだろうよ。

 

 

 

「――――?」

 

 

 

呆気にとられたような声と同時に気配が離れ、左の瞼も解放される。取り戻した視界にはぎょっとして目を見開くDr.シャマルの姿があった。

問おうとしていることは明白すぎるほどに明白だ。パーティー会場爆破事件の時と態度が百八十度違うって? はっはっは、自覚はあるとも。

マフィアは所詮階級社会だ、決められた道筋がはっきり存在する。ハルはその順序を外れたから狙われ、順序を正したからこそ受け入れられた。

 

―――そう、学んだ。思い知った。

 

元々、下げたくもない頭を……などという話ではない。ハルの味方であると宣言したからああいう反逆ともとられかねない行為を働いたのであって、

沢田綱吉個人に思うところは―――まぁ、なくはないけどないっちゃない。

実際、へたれへたれと思っているが、時折見せるマフィアとしての顔は……どきりとさせられるものがある。もちろん、悪い意味で。

 

 

 

「一応、私の辞書にも『自重』って言葉は載ってるんですよ」

「――――」

「――――」

「………っ……」

 

 

 

嘘吐け、と言わんばかりの気配を即座に向けてきたのが約二名いたが、当然のごとく黙殺した。

え、残りの一人?ああ。そんな二人を見て声を殺しつつ笑ってましたが何か?

 

 

 

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