例えて言うなら、ソレはまるで借りてきた猫のようだった。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

念の為、と称して返り血を浴びたの左目に手を伸ばしたのは、もちろん後遺症が心配だったから――――

という一旦治療を引き受けた医者としての義務、の他に。あわよくば例の右目も実際に診てみたいという下心があった。

 

そういったこちらの思惑に気付かない筈はないだろう彼女が、一切の抵抗をしなかったこと。

さりげなさを装いつつ、振り払われることを承知の上で唯一の視界を塞いでも、右目が瞬くことはおろか僅かな身じろぎさえなく。

無防備な姿を晒させているそこにつけ込む形で押しつけた、選択肢の存在しない提案に対して反発するでもなく。

 

あまつさえ雲雀か骸に『命令させればいい』? いや、冗談にしたっておかしいだろう。

決して長い付き合いではないが、そんなことを言う性格だとは到底思えなかった。

 

 

(妙、っつーか。くそ、何かが引っ掛かる―――)

 

 

妙といえばだ、問題の右目そのものもかなり奇妙だった。

彼女の右目が見えないかもしれないと推測した脳波のデータが手元にあっても、本人からその事実を認める発言を引き出しても、

実を言うとまだ半信半疑だった。こうして実際に現物をじっくり診ると余計揺らいだ。

 

右目が左目に合わせて動く様子、視界を塞げば動くことはほぼなくなったものの、

ペンライトに反応して瞳孔が収縮する様子など、濁りのない澄み切った瞳には病の雰囲気などない。

見えないと知っていなければ多少の違和感など見逃してしまいそうなほど―――……それでも。

 

 

(本物そっくり、良くできた義眼だって言われた方がよっぽどしっくりくるぜ)

 

 

もう少し押し込めば眼球を潰せる位の、触れるか触れないかぎりぎりのところでぴたりと親指を止め、全く反応がないことを確認する。

当然、雲雀からはちょうど見えない角度であることは既に計算済みだ。見えていないのは本当に事実なのか?

疑いが頭を擡げるが、ここまで全てが演技であるなどという荒唐無稽な仮説を信じようとは思わない。

 

ならば頑なに事情を言わない理由は何なのか? 何もうつしていないからかどこまでも感情の見えない目。作り物じみた。

脳になにか障害があるとして、まず調べる必要があるのは―――。

 

巡り巡る思考は、部屋に近づいてきた二人分の足音に遮られてぶつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

シャマルの診察が始まって、暫く経った頃だ。

お馴染みのくそ五月縄い右腕を伴って、沢田綱吉が少し息を切らせながら部屋に乗り込んできた。

 

彼は扉を開けるなり、『さん、生きてる?!』などと―――リボーンから詳細を報告されているにも関わらず、だ―――切羽詰まった様子で叫び、

距離が近くもろに大声の余波を喰らった骸が本人に呆れ混じりの視線を向けた……のも、束の間。

返された視線にはっきりと込められた“意味”に、部屋の空気が僅かに固まったのがわかった。その笑顔に圧力を感じる。

 

とはいえ何かが吹っ切れてまともに仕事をやりだしたらしい今のボンゴレ十代目なら、余計な私情は入れないかもしれない。

と、何の慰めにもならない戯れ言を内心呟きつつ、雲雀はそのまま何事も無かったかのように会話を始めるボンゴレ十代目をじっと見やった。

 

 

 

「本当に大丈夫だった? さん、目を怪我したって山本から聞いたけど」

「ああ、いえ、実は返り血が目に入ってしまっただけでして。すぐDr.シャマルに処置して貰ったので大丈夫です」

「そっか……。ええと、じゃあその左腕は」

「これはあれですよ、どこぞの破壊魔がですね―――」

 

 

 

和気藹々とまではいかないが、現在進行形で三浦ハルに関して完全に対立している渦中の二人にしては、酷く穏やかな会話が交わされている。

『怒らせた、だけだよ』――自嘲気味に笑った姿からは想像もつかない――怒りにも悲しみにも似た何かは、今も確かに彼の中にあると感じるのに。

 

沢田綱吉の心境が何らかの形で変化したとして、しかしそれを差し引いてもの態度も同じくおかしかった。

奇妙だった。気持ち悪いほどに。違和感しかない。

 

ボンゴレファミリーの抗争に『巻き込まれ』たくせに、彼女はなぜこんな神妙な態度をとるのか?

医者の言う治療云々がきっかけであったとしても本人に責はない筈だ。シャマルを、ひいてはボスを責めることのできる格好のネタだろう。

普段ならむしろチャンスとばかりに、にっこり笑って嫌味のひとつでも飛ばしそうなものだが―――。

巡り巡る思考に、答えは、出ない。

 

 

 

 

 

 

 

誰これ。私はそう叫びたいのを切実に堪えていた。いや、だから、誰これ。

この状況―――『』という存在がこの場にいる理由を冷や汗混じりに説明するDr.シャマルと、

それを傍観しているような風を取りながらも内心十代目の顔色を伺っているだろう残りの二人、そして、

どうしてか変なものを呑み込んだような顔でこちらを盗み見てくる獄寺隼人を黙って密かに観察する。

 

一通り私の身を案じるとすぐ、時間がないといった様子で周囲に状況説明を求めた沢田綱吉。

彼が真っ先に目を向けたのは恭弥だったが、おかしなことに恭弥は恭弥で骸とアイコンタクトのような……いわゆる無言の攻防戦とやらを

数秒の内に繰り広げ、挙げ句の果てには二人揃ってシャマルを生贄とばかりにずずいとボスの方へ押しやった。

 

 

 

「だいたい、そもそもの発端はコレだから」

「ええ、正直我々も状況を全て把握しているというわけではありませんし」

「な、ちょ、おまえらっ――?!」

 

 

 

その息の合いっぷりは、お前ら実は物凄く仲良しだろうと突っ込みたくなるほどだった。

そうして説明とやらを見事シャマルに押しつけることに成功した二人はまた悠然と構えている、ように、見えた。

一方の沢田綱吉は、彼らの行動に何を言うでもなく、普段の遠回しな嫌味だかなんだかわかりにくい物柔らかな態度も見せず、

傍から見ているだけの私が思わず目を見張るほどてきぱきと、手際よく話を進めていく。

 

 

(………ほんと、誰。これ)

 

 

少し前に言い合ったことなどまるで無かったかのように。パーティー会場爆破事件のこともあり、その後の私の行動も全く

褒められたものではないと自覚している。彼の立場からすれば目障りなことこの上なかっただろう。謝らないけど。絶対、謝らないけど。

 

シャマルの話は、ゾンビ男達のことを完全に排除したもので、耳を澄ませて聞いてみても失言のひとつもなかった。

端から期待していないとはいっても、慎重な話運びにやはり頭の回転の速い要注意人物だと再認識する。

もっとも、私の知るボンゴレの幹部連中に要注意でない人物などひとりもいなかったが。

 

 

 

「同じ、『症状』? さんが?」

「ああ」

「それはいったいどういう意味で? まさか、何か悪い病気とか―――」

「………そいつに関しては、別に報告を上げる。医者には守秘義務ってもんがつきものだからな」

「――――――」

 

 

 

内容が問題の部分へ移っても、なるべくその事実を知る人間を少なくしようとしてか、シャマルは明言を避けた。

しかしボスに知られることはもう避けようが無いことだった。苛立ちは、ない。けれど、酷く重たいものが胸の奥底に沈んでいる。

重要なところをいくつか抜かした報告を聞いた十代目は暫く考え込んでいたが、

傍に控えていた獄寺に一言二言何か告げると、嫌になるほど真っ直ぐな視線を今度はこちらに向けてくる。

 

私とは全く違う、迷いの一切無い瞳にぶちあたって何を言われるかを即座に頭が理解した。

 

 

 

さん」

「はい」

「……正直な話、君には本当にこれ以上関わって欲しくないと思ってる」

 

 

―――厳しい声だった。言うなれば、反論を一切許さないような。否も応もなく。

 

 

「もちろん不可抗力だったのは十分理解してるつもりだよ? Dr.シャマルの言う『治療』の意味がまだよくわからないけど。

ただ、今回の抗争は内々で処理できる規模じゃないからね。動いている人間も多いし、情報を保護するにも限度がある。

……って、いや、そりゃ巻き込んだこっちが言うのも」

「私もそう思います」

「筋違い―――って、え?」

「私も、そう思います」

 

 

 

私は『知って』いた。『分かって』いた。だから素直に肯き、否定しなかった。

ど直球に釘を刺しつつ説得しようとしていたのだろう我らがボス沢田綱吉は、虚を衝かれたようにぽかんと口を開けている。

十中八九“今ありえないことを聞いたんだけど!幻聴?!”なんて非常に失礼なことを考えているに違いない。

 

私は寛大な心で気付かなかったことにして、もう一度、ゆっくり、繰り返した。

 

 

 

「全く同意見です、というか、ぶっちゃけ関わりたくないのはこっちの方です。ああいう……超科学的? いえ、オーバーテクノロジーですかね。

そういう彼是が飛び交う世界に足突っ込めるほどの技量はありませんから。疲れますし。

そもそも、機密だかなんだか知りませんけど、通信機器没収されるようなところにあまり長居したくはないです」

「―――――………」

 

 

 

連ねた言葉に嘘はなかった。

私が今回の事件の黒幕と思われる輩の情報を集めたいのも、Dr.シャマルとしたくもない協力を約束したのも、

全てはフリツォーネファミリーと『関わりたくない』ためである。抗争自体にさして興味はない。

万が一、もしもの場合、私の全力を挙げて逃げ出すため―――それだけのこと。

 

 

 

「そ、そう………言ってくれると、助かる、よ?」

 

 

 

引き攣った笑みと共に、部屋に流れる暫しの沈黙。

戸惑いと呆れ交じりの空気に疑いのそれがないことを確認して、私は、ゆっくりと息を吸った。

 

 

 

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