全てを終えたその時に、男はやって来た。
でも、私は疲れていたから。
本当に、疲れて、いたから。
灰色の夢
あの後、私とハルはさっさとマンションに帰った。
道中黙り込んだ私をそっとしておいてくれた彼女の存在がありがたかった。
私はマンションへ帰る道すがら、ずっとあの男の事を考えていた。そして、今も。
たとえ思い返したくない記憶が傍に在ったとしても、絶対に思い出さなければならなかった。
あの夜、私はセキュリティ室に忍び込んで、建物の全ての出入り口を塞いだ。
フィオリスタ・ファミリー創立記念日だった。
その日を選んだのも、ひとつの復讐だったけれど。
建物内がお祭り騒ぎで動きやすかったのも事実。
そうして閉ざされた空間の中で行われた殺戮から、生き残れたものは居ない。
ならばあの男は何処に登場する?
(赤い、イメージが浮かぶ・・・・から、多分)
その、後に。
「・・・・・!」
自分の記憶を辿って、辿り着いた答は。
―――罪が暴かれる事を、意味していた。
名も知らぬその男は、夜明け前に『フィオリスタ・ファミリー』に来た。
脇に大きなスーツケースを抱えて。他人の目を気にするように。
その頃私は、逃げるために全てのセキュリティを解除して出口に向かっていた。
彼は裏門から、私は裏門へ。
鉢合わせするのは当然の事だった。
『・・・・・(誰か、来る)』
私は直ぐに物陰へと隠れてその何者かが通り過ぎるのを待った。
そう。
あわよくば殺す、という事も、考えていた。
だが入ってきた男の様子を見て、少し気が抜けてしまう。
何というか・・・こう、余りにもオドオドしすぎていたので。
彼は中の様子が妙な事にも気付かずそのまま中へと入っていった。
気を取り直して私は彼を追いかけた。殺すために。
中の惨状を見れば無防備同然になるに違いないと踏んでいたから。
案の定、彼は血の海を見て乾いた悲鳴を上げ、スーツケースの中身をぶちまけて立ち竦んだ。
私は好機だと、先程まで使っていた――サバイバルナイフを、握りなおして。
ふと。
血が乾いて薄汚い、刃が欠けたぼろぼろのナイフに。
―――何故か、その時初めて、恐怖を覚えた。
(手が震える事はもうないけれど)
我に返った、という表現が一番しっくり来るのかもしれない。
正気に返って、そしてそれを自覚した瞬間、全身にドッと疲れが襲ってきたのだ。
今まで溜めに溜めてきていたもの、全て。
どうして今なのか、この男が部外者だからなのか、・・・自分のことなのに、わからなかった。
もう目の前で放心した男を、殺す気力も無くて。
それでも何とかしなければいけないことはわかっていたから。
だから。
『動けば、殺す』
『ひっ・・・!?』
赤く染まったナイフを男の首筋に押し付け、脅した。
慣れないイタリア語、だがここの人間がいつも私に言ったことを真似て。
冷たい声音で何度も何度も聞かされたその言葉達は、やけに印象に残っていた。
『生きたければ、言う通りにしろ』
『・・っは、はい!』
『此処で見たことを忘れろ。決して誰にも話すな』
さもなければ、お前がどこに逃げても殺す。
絶対に、殺す。
そう繰り返して、私は男を突き飛ばし距離を取った。行け、と。
『・・・・・・・・・・・っっ!!』
男は必死で走って逃げていった。大きなスーツケースを残して。
その周りに散乱しているのは・・・袋、だった。何か白い粉が入った袋。
私は男が来た証拠を残さないよう、散乱した中身と共にそのスーツケースを担いで再び出口に向かう。
もう夜が明ける。
直ぐに誰かが気付くだろう。私はその前に逃げなければ。
そして、今まで、私は逃げ続けて・・・・・・・
「・・・・ん?」
そこまで思い出して私はポン、と手を打った。
散乱した白い粉入りの袋。・・・・は、麻薬か?多分、そうだ。あの感じは。今なら分かる。
ならばもしあの男がその時もキャバッローネに入っていたなら、規律違反決定である。
今回の麻薬斡旋にも、関わっている可能性が大きい――。
・・・ほほう、調べてみる価値はありそうだ。
「―――ハル!」
「はいぃっ!?・・・・あ。さん!何か思い出せちゃいましたか?」
「金髪ボスの資料よりかはましだと思うわ」
「わ、楽しみです!」
だがもし、彼が黒だったとして。
それを証明するときには、きっと、私は罪を自ら告白しなければならないだろう。
何故わかったかなんて、そのことなしには答えられない。
仕方が無い事とはいえ・・・・憂鬱である事に変わりはない。
因果応報と、あきらめるしかないのか――?