それは多分、特別な事、ではない。
事件と呼ぶようなことでもなく、そう、至極当たり前の。
多少物騒ではあったが日本に居た頃でさえも多分、充分に有り得ただろうこと。
それでも彼女の中で、何かが動いたのは確かだったのだろう。
灰色の夢
とにかく落ち着かなければ。そう自分に言い聞かせる。
私がハルから離れていたのは3分弱、そのうち店に向かう途中には何らおかしな気配は感じなかった。
悲鳴や喧騒などが聞こえてきたりはしなかったし、少しでも殺気が感じられたなら分からないはずがない。
だとすれば、私が店に入って出てくるまでの間に何かがあったと・・・
「・・・・車で連れ去られたりしていなきゃ、近くにいるはずよ・・・・・」
そして私は上着の内ポケットから小さな機械を取り出した。
・・・それは万が一のときに備えて用意しておいた、発信機のたまご型受信機である。
まさかこんなに早く使う事になるとは思わなかった。
用意周到が一番ね、と自らの功績を内心称えてその小さな画面を見つめた。
「よし、電波は良好・・・・・・・って、あれ?」
表示されているハルの居場所を見て、私は多少拍子抜けした。
物凄く、近くだったから。
居場所を表す記号はほんの数十メートル先を指し、しかも動きは無い。
・・・・どういう事か良く分からないが、そこに居るのだろうと私は幾つかの曲がり角を進み、その場所に近づいた。
「・・・・っ!」
もう一つ角を曲がれば着くという時になって私は足を止め、身を潜める。
その先には、確かに彼女の気配がする。
―――が、その傍に数人の。
(・・・まさか、敵対ファミリーの誰かに捕まって・・・!?)
咄嗟に服の下に潜ませているナイフに手を掛けた。いつでも始める事が出来るように。
「ね、いいでしょちょっとぐらいさぁ」
「いえ、あの、友人と待ち合わせしてますし・・・・」
「俺ら奢るから。結構お金持ってんだぜ?悪いようにはしないって」
「いえあのっ・・・ハルは別に・・・」
「へぇ、君ハルっていうんだ?可愛い名前だね」
(・・・・・・な・・・・・・・・・・)
ナンパか――――!!
私はがっくりと脱力しそうになるのを何とか堪えた。
ちょっと想定外だった。
いくら軟派なイメージが付きまとうイタリアだからといって、実際そこまでする人間は少ないはずなのに。
―――というか、それよりハル。
何でそんなに押されてるわけ!?粘ってあの場所から動かずに居てくれれば一瞬で追い払えるのに!
私の心底からの叫びは勿論届かず、じりじりと壁際に追いやられるハル。
こうしていても仕方がないと、私が出て行こうとしたその時。
「・・・・ほら、来いって言ってんだろ」
「・・っ・・・、あ、危ないじゃないですか!」
一人の男が銀色に光る折畳みナイフを取り出し、これみよがしにちらつかせる。
「えぇ?お前そんな趣味だったっけ?」
「るっせぇよ」
(こいつら・・・人が、穏便に済ませてあげようとしている時に・・・・)
話し合いの余地、なし。容赦?・・・する必要がどこにあるのか。
未だに何事かを言い合いつつハルを脅す男共に制裁を。凶器さえ出さなければ、そうは思わなかったのに。
瞬時に曲がり角から飛び出した私は、ナイフを持つ男の側頭部を思い切り――――蹴り飛ばした。
「がぁッ――!!?」
綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ男。奥の壁にぶち当たり、動かなくなった。
私はにっこりと笑って。両手の指をパキパキと鳴らしながら。
ハルを背後に庇う形で、男達の前に立ち塞がる。
「私の上司に手を出さないで頂けます?」
「だ、誰だ貴様!」
「いきなり何しやがるテメェ?!」
仲間がやられたことを漸く理解できたのか、男共が騒ぎ出す。
そのくだらない質問に答える為、私は口を開いた。答えたところですぐに意味はなくなるけれど。
「私は彼女の第一部下です。それから―――何、と仰いましたか?」
私は更に笑みを深める。
「そんな事、決まってるじゃないですか」
「ほざくな!」
「よくも・・・!!」
向かってくる男共に、最後の答えを。
「制裁、ですよ」
――― 暗転 ―――
「・・・ま、こんなものかしらね」
「はひぃっ・・・・」
屍累々、と言っては大げさだが物言わぬ男共は地に伏した。ぴくりとも動く気配はない。
ハルは恐る恐る私の後ろから出てきて彼らを見下ろす。ほんの微かに怯えているようだった。彼らにか、・・・それとも。
「で?何か言う事は?」
「う・・・あの、その・・・勝手に動いてごめんなさい、です・・・」
「ただのナンパ集団だったから良かったものの、これが敵対ファミリーだったらどうするの。貴女、今頃死んでたかもしれないのよ」
「・・・・・はひ・・・。反省します・・・・」
「・・・ま、とにかくお説教は後でたっぷりするとして」
私達は、一刻も早く此処から離れなければならなかった。
人が来たらかなり厄介な事になる。何故かを告げるつもりはさらさらないが。
「ハル、ずらかるわよ」
「あ、はい!」
ナンパ男共を一瞥した後、私の知る裏道を通ってボンゴレ本部へと急いだ。
・・・・多分、この出来事が、全てのきっかけだったのだろうと後になって思う。
「・・・あの、さん」
「何?」
「あの人達・・・・放って置いて大丈夫なんでしょうか。人通りの少ない所でしたし・・・・」
「・・・・・・・・・・・。さあ?手加減してないからねぇ」
「ちょ、何ですかその笑みは!誤魔化さないで下さいっ」
「ハイハイ」
ねえ、ハル。
その人達が既に絶命していると知ったら、貴女は、泣いて、しまうかしら。