世界が。

私が此処に来てから十年かけて作り上げた自分が。

今この瞬間に崩れ去った気がした。

 

――――たった一人の青年の掛け声ひとつで。

 

 

灰色の夢

 

 

 

「遅れて申し訳ありませんでした!」

 

 

 

青年と共に入ってきた女性が叫ぶように言った。

私は全神経を青年の方に向け、身動き一つとれずに黙っていた。

本当に『彼』なのだろうか。もし青年が『彼』なら、誰かと仕事をしたりはしないと思う。こんな組織めいたところで会う筈がない。

 

勿論、趣旨変えしていなければの話だが。

いやそれ以前にイタリアに居ることからしておかしいだろう。

 

私の壊れた頭が見せた、幻か・・・・・

 

 

 

上手く動かない頭を叱咤しつつ、何とか落ち着きを取り戻そうとする。

 

『彼』と思われる青年の方へ向き直るのは自分の意識を総動員しなければならなかった。

 

 

 

「いや、ハル。今日のは不可抗力だよ。仕方ない」

「ですけど!」

「悪いのは向こうだろ。・・・・全く、あんまりガタガタ喚くものだからもう少しで黙らせるところだったよ」

 

 

 

声。後姿。物騒な台詞。その全てが私の大事な記憶と重なる。

 

 

何故、と思う。

何故、全てを諦めた今になって。

 

 

 

「んな!ツナさん、この人半分位ボコボコにしましたよ!!」

「五月蝿い。いい加減にしないと咬み殺すよ?」

 

 

(・・・・・・・・・・・・・・っ・・・)

 

『咬み殺す』

それは彼の数少ない口癖の一つだった。

 

喧嘩するとき、いや普段の生活の中でさえも多用されたそれ。

私の記憶のなかで 一際鮮やかに蘇る。

 

 

 

―――ああ何故今になって。

変わり果てた私。変わらない彼。今すぐ逃げ出したい思い。

 

だけどそれよりも遥かに―――『逢いたい』と、想う。

 

 

 

 

「はひっ!?酷いです!」

「はい二人共そこまで。もうお客さんは到着しているんだから、早く始めよう」

 

 

 

ボスの言葉に彼が振り向く前に。

その目を見てしまう前に。

 

名を。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・恭弥?」

 

 

 

私がかつて呼んでいたように。

99%の確信と、1%の不安を以って。

 

呟くように零した其の音は思ったよりも良く通り、奇妙な沈黙を其の部屋に齎した。

 

 

(・・・・・そこまで驚かなくても・・・・)

 

 

ボスは珍獣を見るような目付きで此方を見ているし、隣にいる目付きの悪い青年はこの世の終焉を見たような顔をしている。

 

 

彼は。――――雲雀恭弥は。

 

気軽に名前を呼ぶなとばかりに超不機嫌な顔で振り返り、そして、彼にしては珍しく全ての動作を止めた。

その目がゆっくりと見開かれるのを見て、何故だか、大声で泣き喚きたい衝動に駆られる。

 

彼は私を憶えていたのだ。いきなり姿を消した私を。・・・・・変わり果てた私を見て、『私』だと気付いた。

 

 

 

「――――・・・・・?」

 

 

 

私は、目を閉じた。かつての故郷を思い返す度必ず現れた彼に、今はもう呼ばれることの無い名前を呼ばれて。

 

 

――――今なら死んでもいいと、私は本気で思った。

 

 

 

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