―――おやすみなさい、良い夢を。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

遠くの方で、微かに水の流れる音が聞こえる。

 

黴臭い空気が広がる其処は、薄暗く、足元さえ覚束なくなるような場所だった。

 

 

 

 

背中が熱い――――。

 

 

先程は気付かなかった鈍い痛みも、じわじわと全身を苛む。それでも止まるわけにはいかない。

私は三人の先頭に立ち注意深く辺りを見回しつつ、少しずつ前へと足を進めた。

 

 

 

「・・・・・あの、さん」

「なに?ハル」

 

 

 

一番怪我が酷い三十路男をその細い身体で支えながら、ハルは不思議そうに首を傾げる。

 

 

 

「ボンゴレってこっちの方向でしたっけ?」

「・・・・ボンゴレ?いや、違うけど」

「えぇ!?」

「ぅぉわっ!」

 

 

 

驚いた拍子にハルが手を離してしまい、支点を失ったハッカーの身体は脆くも崩れ落ちた。

私達が慌てて駆け寄るも、痛さに悶えて苦しそうである。一刻も早く医者に連れて行かなければ。

 

思ったよりダメージが酷いな、と自分のした事を棚上げにしつつ三十路ハッカーを宥めていると―――

 

 

―――ハルが泣きそうになりながら私に縋り付いてきた。必死の形相で。

 

 

 

「ちょ、その、さん、待って下さい!ハル達、ボンゴレに帰る筈じゃ」

 

「そりゃ帰るわよ。・・・・でもその前に、『その人』何とかしなきゃいけないでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、私達は屋上からビルの内部を通って外に出た。

 

爆発が起こった後だから長居は無用だったのだろう。野次馬以外、それらしき気配は見つからなかった。

だが今度はボンゴレの連中が駆けつけて来るに違いなかったので、適当に裏路地を通り、地下へ潜り込んだのである。

 

(誰にも見られずに済んだのは幸いだったわ)

 

この一帯には隠された地下道が何箇所かある。勿論普通の地下道もあるが、抜け道に使うにはお粗末だ。

整備途中で放置されているもの、現在は使用されていないもの等を、昔誰かが勝手に繋げてしまったらしい。

 

そしてそこは、表社会・裏社会からの“はみ出し者”が集う、ある種の無法地帯と化している。

グレーゾーン故に目立つことはなく、私もかつて情報屋『Xi』としてそれを知った。

 

 

・・・・・政府やマフィアからも一線を画した非常に特殊な場所なのだ。

 

 

 

「取り敢えず真っ先に医者に連れて行くわ。今死なれちゃ困るしね」

「でも、だったらボンゴレに居るシャマルさんに頼めば・・・」

「あの人男は診ないんじゃなかった?」

「・・・・・・・・・そ、そうでした」

 

 

 

一般の病院など論外。だからといって、マフィアの息が掛かった場所に連れて行けば、必ず情報は洩れる。

裏社会頂点に立つボンゴレの、・・・・ひいては、ボンゴレ情報部の耳に入るのも時間の問題。

 

誰が敵なのか分からない以上、ハッカーの生存は隠し通さなければならない――――――今は、まだ。

 

 

 

「で、この先に医者が居るの。腕は保証する」

「こんな所に、ですか?変な人ですね」

「そ。とある偏執狂で、数年前から指名手配中なんだけど」

「お、おい待て俺をそんな奴の所に放置していく気か!」

「大丈夫大丈夫。彼、生きてるモノには興味ないから」

「余計怖いわ!・・・・ぃ、つ・・・っ」

 

 

 

後先考えず怒鳴っては、傷に響いて黙り込むというお馬鹿な行動を繰り返すハッカー。学習しない男である。

大人しくなったその隙に二人で両脇を抱え上げ、そのまま有無を言わさず引き摺ってやった。

 

 

(コレはここに置いていく。そしてハルをボンゴレに―――)

 

 

全てを夜が明ける前に終わらせなければならない。敵を特定するよりも先に、まず私達の安全を確保しなければ。

 

入り組んだ地下道の奥にひっそりと存在している診療所の扉を叩いて、私は決意を新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『絶対、逃げちゃ駄目よ?明日必ず会いに来るから』

『・・・・この身体でどうやって逃げろってんだ・・・・』

 

 

 

心なしか怯えるハッカーを笑顔で切り捨てつつ、馴染みの医者に手を振ってその場を離れた。

ボンゴレから隠れるには申し分ない所だと思う。こちらから言わなければまずバレることはないだろう。

 

ハルがボロを出したとしても、甘いボスのこと、彼女に対してそう強く追求することも出来ないはず。

 

 

 

――――彼女は、大事な部下を三人も失ってしまったばかりなのだ。

 

 

 

私は来た道とは別の方向に歩き出す。後ろ斜めにぴったりついて来るハルを横目で見ながら口を開いた。

 

 

 

「ねえ、ハル。ちょっといい?」

「はいっ。何でしょう?」

「これから帰るにしたって・・・・その格好じゃ正面からは無理よね?で、私考えたんだけど」

 

 

 

どちらかの家に寄って着替える事も考えたのだが、どうやらその時間もなさそうである。

 

ボスが何らかの行動を起こす前に、ハルは生きていると知らせた方がいい。それが彼女自身の安全に繋がるからだ。

私は元から存在しない人間としてあのパーティーに出席した。だから記録上“死亡”とされても何ら問題はない。

 

だがハルは違う。パーティーに出席するよう命令された以上、多分名前などが記録として残っている筈だ。

 

あの爆発から生き残ったなどと広められては―――敵に、狙う口実を与えることになってしまう。

 

 

(だったらあのパーティーに“最初から居なかった”と思わせれば)

 

 

ハルと会話しながらも、次どう動くべきなのかを考えてしまう。冷静な思考。大丈夫、仕事中はいつもこんな感じだ。

そう、冷静な――――――判断を、しているのか?本当に?・・・・私は何か、間違えてはいないだろうか?

 

・・・・・・・・否、迷うな。考えろ。今打つべき手はないのか。他に何か、私に出来ることは。

 

 

 

「ボンゴレ本部の屋上に直接乗り込もうと思うの。どう?」

「屋上って、確か執務室に直結する通路があるって―――」

「多分ボスは今執務室から動けない。一番に会うには、それが最善だと思ってる」

「そう・・・ですね。ハルはさんに全部お任せします」

 

 

 

ふと。

その台詞を聞いた時、私は焦り気味だった心がすっと冷えていくのを感じた。

 

 

(ああ、また――――私は)

 

 

また、独りで動いているつもりになっていた。ハルの為に、『私が』出来ることしか考えていなかった。

そうじゃない。それじゃ同じ事の繰り返しだ。私は・・・私達は、二人で力を合わせてこの状況を乗り切るべきなのだ。

 

全部任せるなんて・・・・・・・そんな言葉、言わせちゃいけない。

 

 

一緒に変わっていくと、そう、決めたのだから。

 

 

 

さん・・・?どう、したんですか?傷が痛むんですか?」

「いえ・・・・ごめんなさい、ハル。初っ端からこれじゃ、中々難しいわね」

「・・・・はい?」

 

 

 

反省は後。今はただ、踏みとどまれた事に感謝しよう。

 

私は幾分力の抜けた笑みを浮かべ、気遣わしげにこちらを見るハルに向かって、こう告げた。

 

 

 

「ハル。悪いけど・・・・ボンゴレへは、貴女一人で帰って欲しいの」

 

 

 

 

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