気付かない筈、ないでしょう?
灰色の夢
毅然としたハルの言葉で、私の心に燻っていたものが音もなく溶けていく。
これからも、きっとこんな風に自分の行動を省みる日々が続くのだろう。その都度足を止めて考えるのだろう。
(全く・・・・頼もしいことで)
何度も何度もそれを繰り返して、そして漸く―――――私は変わっていけるのだ。
「取り敢えず話も済んだことだし。そろそろ休憩も終わりね」
「・・・ま、またビルから飛んだり・・・する、んですよね・・・?」
「絶対落としたりしないって。ほら、数秒だけの紐無しバンジーとでも思えばいいじゃない」
「紐無かったら死にますよっ!」
やらなければならないこと。それを他人にそっくりそのまま預けたというのに、この穏やかさは何なのか。
彼女なら大丈夫―――だなんて、根拠のない事を考えている。楽観的過ぎると自分でも思うのだけれど。
私はそんな自分に苦笑して、一度だけ本部ビルの方を振り仰いでからまたハルへと向き直った。
「―――それじゃ、帰りましょうか。ボンゴレに」
「・・・・・・っ、はい!」
嬉しそうな笑顔で頷くハルに手を伸ばしながら、私はそっと安堵の溜息を吐く。ハルが細くて本当に良かった。
ボンゴレ本部は周辺のビルよりも遥かに高さがある為、どのルートを選んだとしても重力に逆らう必要があるのだ。
彼女を抱えてただ落ちればよかった時とは違う。・・・・それでも、ハッカー相手にするよりはまだマシだ。
目的地はボンゴレ本部屋上。こんな距離、この私にとっては何でもない――――
「あ、ちょっと投げたりするけど悲鳴とか上げちゃ駄目よ」
「はひ?な、投げ?」
「ほら舌噛むわよ―――口、閉じてなさい!」
「・・・・・・・・・・!!」
言うなり私は、ハルの首根っこを引っ掴んで助走もそこそこに――――フェンスの外へと、飛び出した。
上半身を強かに打ちつけて思わず顔が歪む。やはり今の私の技術では、自分一人でなければ着地が上手くいかない。
背中にあたる冷たいコンクリートの温度が気持ち良くて、私はそのまま暫く身動きしなかった。
わずかに視線だけを巡らすと、私の身体に重なるようにハルが倒れていた。きつく目を瞑り硬直している。
今度はちゃんと自分の位置を意識していたので下敷きにせずには済んだらしい。私は一先ず安心した。
「もう着いたから目開けても大丈夫よ、ハル」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ほ、ホント、ですか・・・・?」
「この状況で嘘吐くほど悪趣味じゃないって」
その言葉にハルは恐る恐る目を開け周りを見渡す。ボンゴレ本部とはいえ一度も来た事が無い場所に戸惑っているようだ。
帰ってきたという実感などないだろう。・・・・・会うまでは、きっと。
「ああ、生きてます・・・!神様、ハルは生きてますっ!」
「だぁから死なせる訳ないでしょうに。大袈裟な」
ハルが無事なのを確認して、私は漸く起き上がる。屋上から中に入るにはここに存在する唯一の扉を通らなければならない。
だが―――執務室に直結するというだけあって、傍目からでも充分わかる程に厳重なセキュリティが課されていた。
「流石、凄いセキュリティ・・・登録認証制になってる」
ハルを放置したまま近寄って眺めるも、今まで相手にしてきたものとは格が違う。すぐに侵入するのは難しいかもしれない。
事前にデータ等を登録しておかないと通れない仕組みになっている。多分、ボス専用だからだろう。
(このタイプは解除が難しいのよね・・・システムにハッキングするのも時間が掛かるし)
ハッカーが居れば話は別だったかもしれないのに、と思わず舌打ちした―――その時。
「 っ!?」
全身に、怖気が走った。―――殺気?否、そんな生易しいものではない。
私は無意識にも武器を手に握っていた。一瞬で消えてしまったけれど、それは確かに・・・・・・ボスの、もので。
(怒る理由は確かに分かるけど・・・・でもちょっと心臓に悪いというか)
っていうかこんなのを振りまく人間に道端で会ったら私は即座に逃げ出す。絶対に。今のはやば過ぎる。
ハルとかが直接あの闘気を浴びたら失神すること請け合いだ。離れててこれだから性質が悪い。
・・・・・それでも、ボスが確実に執務室に居ることが分かっただけで良しとするべきなのだろうか。
「うぅ、やっぱり屋上は寒いですね・・・今ぶるっと来ちゃいました」
「それで済んで良かったと思って。ね?」
「・・・・・?」
時間がない以上、手段は選べない。取るべき道はひとつだ。・・・ならば迷うことなどない。
私の後ろから、ばっちりセキュリティロックされた扉を覗き込んでハルが声を上げる。
「わわ・・・凄い。これじゃ通れないですよさん。どうしますか?」
「そう、ね。じゃあ・・・こうする」
「え?」
そして、次の瞬間には。
―――――――ドカッ、とそれなりの音を立てて私の鋭い上段蹴りが扉に見事ヒットしていた。
『Errore』
途端、<異常なし>を知らせる緑のランプが一斉に赤に変わり、緊急事態を示す文字が他に幾つも浮かぶ。
警報こそ鳴り響かなかったもののその意味は瞭然。・・・・・今頃執務室にはその知らせが届いている筈だ。
「ああああああああの、あのあの、あのさ」
「私達が行けないなら向こうから出向いて貰えばいいだけよ」
執務室周辺はセキュリティ部門でさえ手が出せない。ボスが選んだそれ専属の人間が統括していると聞いている。
だからこの事態も、今は執務室に居るボスと―――多分居るであろう幹部あたりにしかわからないだろう。
(そしてきっと・・・ボスは自分の目で確かめに来る。だって彼に分からない筈がない)
此処に居るのが、誰かという事くらい・・・・・!
「ま、分からなければ所詮それまでの男ってことだけど」
「何ひとりで納得してるんですか!?人が来ますよ!ハル達お縄頂戴されちゃいます!」
「いやそれ意味分からないから。第一来させてるの、ここに来れる人間は限られてる」
目を閉じて、探る。
扉の向こう側。通路の奥、その更に向こうからこちらに近づいてくる気配。
(・・・・・・・・・・ビンゴ!)
思わず笑みが浮かんだ。思い通りだった。後のことはもう、彼女に任せておけばいい。
「ハル。ここから先は別行動―――自分の思うように動いて」
「・・・・さん」
「犯人は必ず私達の手で挙げる。その為にひとつだけ、確かめておきたいことがあるの」
「だから、行くんですね」
「ええ、今じゃなきゃ出来ないことよ。夜明け前には合流できると思う」
祈りにも似た想いを込めて、私は両手でハルの手を握る。私にとってもハルにとっても正念場には違いなかった。
「―――行ってらっしゃい、です。お気をつけて」
その言葉に少し笑って、ゆっくりと手を離して。私は扉とは反対方向へと走り出した。
一度も振り向かずに。