もう少しこのままでいたい、という思考と。
凍りついたように動かない自分の身体が、何よりも忌まわしかった。
灰色の夢
「――――ハル!!」
「・・・・・・・・・・っ!」
お互い動かずに見詰め合っていた時間は実際そう長くはなかったのだろう。
次の瞬間遠慮のない強い力で抱き締められて、ハルは思わず口をついた小さな悲鳴をかみ殺した。
「ツ、ナ・・・さ」
「ごめん。ごめんなハル、ごめん――――」
微かに震える身体。悲壮な声。何度も告げられる懺悔の言葉は痛みを伴ってハルの心を苦しめる。
一体何を謝る事があるというのだろう。彼が謝る必要なんて何処にもない。
“貴方の所為じゃないんです”・・・・だがその言葉は、喉の奥に絡まって音にはならなかった。
―――抱き締められて少し浮いた体、その剥き出しの首筋に、暖かなものが降り注いだからである。
(・・・・どうし、て・・・)
彼の涙なんて久しく見ていない。彼がボンゴレの頂点に立ってからは、それこそ一度も。
自分は大丈夫だからと、どうか泣かないで欲しいと、慰めたい一心でハルは綱吉の背に手を添えた。
・・・・否、添えようとした。
でも無理だった。抱き締められ力なく下ろした腕は、意思に反して少しも動かなかった。
ハルはただ人形のように突っ立っていた。彼に身を任せる事も、泣いて縋りつく事も出来ずに。
―――――今の自分には応える資格などないと、分かり切っていたから。
「謝らないで、下さい。ツナさん」
「・・・・・ハル」
「謝るべきなのは、ハルの方、です。ツナさんが、折角ハルの為に紹介してくれた、ばかりで」
いつもいつも思っていた。ずっとずっと願っていた。
彼が昔から誰を好きなのかは分かっていたし、また他にもライバルが多いのも知っていた。
それでも。沢田綱吉という存在を、ハルは全身全霊で愛していた。全力で恋焦がれていた。
たとえ振り向いてくれなかったとしても構わない。ただ傍に居たくて。そう、ただ、それだけで。
(勿論ハルは恋する乙女ですし。一度でいいから、ぎゅ―っとハグして欲しいなあ、とか思ってましたけど)
そうしたらどんなに幸せだろうって。きっと悲しい事も辛い事も跡形もなく吹っ飛んじゃうんだろうって。
・・・・・・・そう、思っていた、のに。
「でも三人共、・・・ハルを庇って、・・・・もう、」
「ハルの所為じゃない。気にしちゃ駄目だ」
(いいえ、私の所為なんです)
こんなにも焦がれていたこの腕を、振り払ってしまいたかった。そんな勇気はなかったけれど。
痛くて苦しくて切なくて。彼の腕の中で安堵する自分に吐き気がした。いつの間にか涙さえも乾いている。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。どうして自分はこんなにも弱いのだろう。どうしてこんなにも脆いのだろう。
覚悟が足りないとは言った。何の覚悟かは自分で考えろ、と。
ボスの傍に居られる最低条件は、“簡単には死なないこと”――――どんな状況下でも、生き抜けること。
『その為の武器、その為の技術、その為の経験、その為の強さ、その為の戦い方なら、私は幾らでも教えてあげられる』
だから…と差し伸べられた手を、自ら取った以上は。
(どんなに泣いても、喚いても。……もう戻ることは出来ない)
「ツナ、大丈夫か!?」
開きっぱなしだった屋上の扉から勢いも荒く飛び出してきたのは、山本武だった。
敵襲かもしれないのに仲間の制止も聞かず、ボスが一人で飛び出して行ったのだから。まあ当然のことだろう。
しかし予想していたような騒ぎはなく、それどころか綱吉の傍に予想外の人物を見つけて山本は酷く驚いた。
「・・・・っハル、お前無事だったんだな!?」
「山本さん!・・・・はい、ハルは、大丈夫です」
「そ・・・・うか。無事か。そりゃ良かった――――」
そう言って、彼は深い溜息を吐きドアに凭れる。だが乱入者が現れても綱吉はハルを抱き締めたまま動かない。
流石に羞恥というものを感じ始めたハルは、凍りついた身体はそのままにそっと声を上げた。
「あああの・・・ツナ、さん?少し・・・その、苦しいんですけど」
「――――俺は、心臓が止まるかと思ったんだ」
「え?」
言外に、そろそろ離して欲しいと込めたつもりが何故かするりと無視された。
それどころか力が一層強くなり呼吸さえままならなくなる。何も喋るな―――そう言われたように感じた。
「爆発したって知らせを受けた時・・・・目の前が真っ暗になった。もう、駄目かと、思った」
「・・・・・っ、ぁ・・・」
「こんな・・・・・こんな思いをする位なら、―――」
その続きは言葉にはならなかったけれど。でも、簡単に予想がついてハルは身を震わせた。
『最初からイタリアに連れて来なければ良かった』と――――――彼は言いたかったんじゃないだろうか。
突き放された、と思った。だって、これは柔らかな拒絶じゃないか。残酷な優しさを真綿で包んだような、拒絶。
「・・・・ハルは、さんに助けて貰ったんです」
「ああ、さんも無事なんだね?雲雀さんも喜ぶよ」
「“私達”以外・・・・生存者は、いません」
「ハルはそんな事気にしなくて良いんだ。とにかく・・・・とにかく無事で良かった」
「ツナさん―――」
会話が悲しいくらいに噛み合わない。
それはきっと二人が対等な立場ではないから。彼にとって、ハルは庇護すべき対象でしかないのだ。
何故今まで、こんな関係を続けてこれたのだろう。こんな歪な関係で満足していたのだろう。
否―――何もかもから目を逸らして、与えられた甘い夢に浸っていたのは他ならぬ自分。全ては自分が招いたこと。
夢は必ず覚めるもの。・・・・もう終わりにしよう。厳しく辛い現実を、受け入れなくては。
ハルは綱吉と会話することを止め、邪魔にならないようにか黙っていた男へと声を掛ける。
「山本さん。至急お願いしたい事があるんですけど」
「お?あ、ああ。何だ?」
「今回のパーティー出席者の名簿、山本さんが管理してましたよね?」
「そりゃ俺、人事担当だからな。どうした?」
「ハル?何を・・・」
が任せてくれたから。仲間として、ハルの力を信じてくれたから。
情報部情報処理部門第九班班長、三浦ハルの責任において、今やるべきことをやらなければならない。
「その名簿から――――“三浦ハルの名前”を、削除してください」