最後に届いたのは、私の名前。
酷く慌てたような響きを持ったその声を、私は、夢だと思った。
灰色の夢
言葉では無視されそうな気がして、もう数本しか残ってないナイフ、その中でも軽いものを選んで恭弥に投げつけた。
普段からすれば笑えるくらい遅い速度、それでもそれが私の精一杯だった。
案の定、振り下ろす予定だっただろうトンファーの軌道を少し変えた程度でそれは簡単に弾かれてしまう。
・・・・・だが、注意をこちらに向けることには成功したようだ。
「もうそこまでにしておいてあげたら?お年寄りは大事にしないと」
「―――――っ!?」
事件の当事者とはいえ仮にも同盟ファミリーなんだし。
と、振り向く前に言葉を重ねる。意識がこちらに向いた以上、もう気配で分かっているだろうとは思うけれども。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、?」
「半日ぶり、恭弥。それにしても随分派手にやったわねえ」
弾かれた様に振り向いた幼馴染は、今まで脅しつけていた初老の男からあっさりと手を放して私の名を呟く。
途端咳き込む哀れな男に一撃を加え気絶させてから、恭弥は数歩こちらに近づいてきた。
――――明らかに不審そうな顔で。
私は戯けた風を装って笑う。何事も、無かったかのように。
「・・・・・・・・・・・ちょっと」
「何?」
「」
「・・・何?」
「―――――君なんで生きてるのさ」
「なにその言い草。生きてりゃマズイとでも言いたいわけ?」
至極真面目な顔で強烈に失礼な事をのたまった恭弥にもう一発、数少ないナイフをお見舞いしておく。
しかしそれも軟弱極まりないというか。投げた自分が逆に情けなくなるような攻撃だった。
仕掛けたそれはあまりにも悲惨で。体調不良を始め、その他諸々の事情が全て表れていることに気付いて私は惑う。
・・・・惑ったその一瞬の内に何かを悟ったらしく、恭弥はすっと目を眇めて再びこちらへ足を進めてきた。
「なにそれ。怪我?」
「あ――何というかほら、流石に爆弾は専門外だったから大変だったのよ」
何でもないのだと手を振って誤魔化す。どうしても、彼に弱い部分を見せたくない自分がいた。
未だかつてない程随分と弱っている自覚はある。だからこそ―――今だけは、出来る限り、強がっていたい。
「それよりこれ、ボスの命令?見た所一人も死んでないけど」
「・・・・・・状況の確認を頼まれてね。素直に喋らないからこうなるんだよ」
「どうだか。恭弥が最初から殴りかかったんじゃないの?」
「さあね」
意外な事に。
恭弥はやけにあっさりと、私のワザとらしい話題変換に文句も言わず乗ってきた。気付いてない筈ないのに。
(だから―――嫌なのかもしれない)
恭弥がふと見せる多分自覚のない優しさ。今の私にはそれが、殴りたいほど疎ましかった。
今回の事件。情報部を疑っている、とは言っても私は別にそれら全てを怪しんでいるわけではない。
マフィア内に過激派・穏健派といった様々な勢力があるように、情報部の中にも沢山の派閥が存在する。
第一ボスが比較的安全だと判断してハルを送り込んだ部署なのだ。そうそう危険な事が起こり得る筈もなく。
もし情報部の中に主犯がいるなら、それはほんのごく一部―――勿論ある程度の力は持っているだろうが―――
つまり表立って声を上げたりすれば隠れられてしまう可能性もある。今ボスに報告できない理由のひとつだ。
また、情報部情報処理部門という閉鎖的な場所で仕事をしてきた私達にとって、誰が信用出来るのかさえも分からない。
(ハルの話によれば・・・・情報部最高主任はいい人、らしいけど)
何でもボス就任の際には凄くお世話になったとか。とはいえハルの立場じゃ遠すぎて協力を仰ぐのは難しそうではある。
いや、兎にも角にもまずは情報だ。情報に関っている時ほど冷静になれるし、考えも纏めやすい。
「それで、三浦は?」
「彼女が死んでたら今頃私は外国に逃亡してるわよ」
「・・・・・・・・・・。」
少し考え込んでいた私を急かす様に声が掛かる。が、それはばっさりと切り返してやった。反論はない。
確かに私がボンゴレに行かず一人でこんな所をうろついているとなると・・・・・最悪の状況を考えざるを得ない、か。
(ハルを死なせた、なんて事になってたらもう私は一目散に世界の果てへ逃げ出すっての)
ああでも―――もし万が一、実際、そうだったなら。
きっとボスと協力して関ったもの全てを完膚無きまでに叩き潰す位のことは、やるだろう、けど、ね。
「ボンゴレ屋上に置いてきたわ。ま、ボスが来てたみたいだから大丈夫でしょう」
「屋上・・・?ヘリでも使ったわけ?」
「企業秘密。気にしない気にしない」
下手に突っ込まれたくない私は『状況説明は後』とその場を流し、先程恭弥に気絶させられたボスを揺り起こしに掛かる。
最初は情報源だから・・・とナイフを投げたものの、本当に相手を殺す気がないと知って私は敢えて止めなかった。
いや、身体がついていかなかったというのが正しい。咳き込む男が声もなく沈むのをただ見ている事しか出来なくて。
(それでも“生き残り”が存在すると知られなかっただけ、良しとするべきよね)
「ソレ、何も知らないよ」
「分かってる。ただ確認したいだけなの」
「何を?」
「―――例の取引相手が、このファミリーだったかどうかを」
ボンゴレではなく。・・・あの部屋に居た人間はハッカー以外見知らぬ顔で、どちらか区別が付かなかった。
何も情報を欲しがるのは外部の人間だけではないのだから、可能性としては否定できない。
ハッカーに聞けば早いのかもしれないが、彼自身騙されているということもある。あらゆる状況を考えた上でだ。
勿論このファミリーだったとしてもこの男が知っているとは限らないけれど。今はどんな些細な情報でも欲しいから。
「このひとが知っているか知らないかで・・・・色々変わるし」
「散々痛めつけて出た台詞があれだよ。これ以上は体力の無駄だと思うけど?諦めたら」
「っでも、私は!」
私を宥める恭弥の声が、普段より少し柔らかくて。訳の分からない苛立ちと反発を覚えた。
その衝動のままに勢い良く顔を上げた――――のが、悪かった。
(・・・・・え?)
次の瞬間、今までで一番激しい眩暈が私を襲った。
部屋が、恭弥が、この手で掴んでいる筈の男の姿さえも、その全てが歪んで。
気持ち悪いと目を閉じても逃げることは叶わなかった。抵抗する暇も無くその渦に飲み込まれていく。
・・・あ、倒れる。
心の何処かで、冷静な自分がそう呟いた。