やれるだけのことはやってみよう。
ほんの些細な力にしか―――ならないかもしれないけど。
灰色の夢
シナリオは既に考えてあった。出席する筈だった『三浦ハル』―――は、当日体調を崩し欠席。
しかし上司から直々に出席を頼まれていたこともあって、その代役として三人の部下をパーティーへ送り込んだ。
結果――起こった惨劇に関ることなく、何も知らないまま、三浦ハルという人間は今日を家で過ごしていた―――
安っぽい脚本かもしれないが、急仕立てにしてはまだマシな方だ。取り敢えず上司に対しての面目も立つ。
どちらにしろ、三人がハルの身代わりとなって死んだことに変わりはない。
「名前を・・・消す・・・?」
「はい。出来れば今直ぐに」
言葉の真意を測りかねたのか山本は軽く首を傾げる。名簿から存在を消すという、その行為自体が何を意味するのか。
(生存者を隠し、事件の詳細を明らかにはしないという、その本当の目的を)
・・・・・幾多の修羅場を潜り抜けて来ただけあってか、二人が理解するまでそう時間は掛からなかった。
と同時に空気がさっと冷える。思わず、といったようにボスはハルから身体を離した。
離れて欲しいと望んでいた反面、遠ざかった温もりに縋りかけた自分に気付いて心の中で自嘲する。
そんな彼女には気付かないまま、彼は硬い面持ちでそっと問い掛けてきた。・・・厳しい声音だった。
「―――ハル」
「何でしょうか、ボス」
「それは・・・・・どういう意味かな?」
の言った通り、ボンゴレはまだ『何が起こったか』という事しか把握出来てはいない。
誰が、どうやって、何の為に。真実は闇の中、彼らは依然推測すら出来る状態にないのだ。情報が少なすぎて。
「“そういう可能性”―――も、あるということです」
身内を疑いたくないのは誰も同じ。ボスであっても、情報部末端の人間であってもさして変わりはないだろう。
ハルは極力感情を抑えた声でそう告げた。流石に言葉にするのは躊躇われた為、曖昧な表現だったが――――
―――言外に含んだものを、二人は寸分違うことなく正確に読み取ってくれた。
「も、勿論あくまで可能性、ではありますけどっ」
「・・・・・・山本」
「任せとけ」
ボスの言葉を受け、山本は片手を挙げて一人さっさと屋内へと戻っていった。止める暇も無い。
暫し屋上に沈黙が流れる。・・・・状況を理解するには少しばかり時間が必要だった。
「はひっ!?え、そんなあっさり!」
そして数十秒後。全てを理解した途端、呆気に取られたハルは素っ頓狂な声を上げてしまう。
物騒な事を言っているという負い目もあって、言い訳がましく“可能性”を強調しようとしていたのを遮られ。
ボスは固い顔をしたまま名前の削除を山本に命じ、山本もまた二つ返事でそれを引き受けてしまったのだ。
正直・・・拍子抜けした。
だって、いくら自分の身を守る為だといっても事が事である。彼らが動くにも慎重にならなければならない筈で。
何故ボンゴレ内部に疑いを持ったのか・・・等、その経過を納得出来るよう説明する必要があると思っていたから。
(なのにどうしてこう、こう、あっさりと受諾してくれちゃったりするんでしょうか!?)
と別れた時からずっと張り詰めていた心。それがふっと緩んだ気がして――――ハルは慌てて引き締めた。
駄目、脱力している場合じゃない。当面の目的は果たせたけれど、他に何を訊かれるとも限らないし。
「あの、ツナさ」
「取り敢えず中に入ろう、ハル。ここは冷えるから」
「・・・・・は、はい」
説明を求めようとした矢先にボスが言葉を割り込ませてくる。しかし、夜中に屋上・・・・寒いのは事実だった。
『普段通り』の柔らかい声と、にっこり笑顔で、ね?と覗き込まれて逆らえる人間なんて実際少ないと思う。
ハルは勿論例外ではなかった。ボスから硬い表情が消えた事に安堵して、素直に頷き執務室へと足を踏み出した。
パーティーの出席者名簿から“三浦ハル”の名前を消すこと――――
それを聞いた時。
警告、だと思った。から、綱吉以下幹部全員に向けての警告なのだと。
今ハルを生存者だ何だと騒ぎ立てれば、後々命を狙われる可能性がある。と、そういう警告なのだと思った。
間違ってはいないだろう。ボンゴレ内に敵が居るなど・・・自分にとっては今更驚くべきことではない。
結局ボンゴレでなかったとしても、いたずらに生存者だなどと公表しては危険が増すだけ。
どちらにしろ目的は分からない。理由も見えない。単なる威嚇か、それとも。
だが、どんな理由であったとしても――――――――――赦すつもりは、ない。
「あ、その血…ハル、怪我…してないよね?」
「ハルは無傷です!……だから、大丈夫、ですよ?」
「そっか。良かった」
折角の綺麗なドレスをどす黒く染めたハルの手を引いて執務室へ移動する。傷がないのは最初から分かっていた。
・・・・だからそれはきっと、カルロ達のものなのだろう。ハルを庇って死んだという、元スパイの・・・・
(っ、一体何が起きているんだ)
が今どこで何をしているのかを知ることは出来ないが、多分、今でなければ出来ない事があるのだろう。
だがそれでも、一刻も早く戻って来て欲しい。今の所状況を正確に把握しているのは彼女只一人だろうから。
綱吉は素直に執務室へと歩き出すハルを見下ろして――――気付かれないよう、溜息を零した。
私は何の前触れもなく意識を取り戻した。
当然の事だが直ぐ目を開けたりはしない。起きたという変化を悟られないよう、呼吸のリズムを変えずに周囲を探る。
異変を感じたのはまず嗅覚だった。刺激臭を感じる・・・・これはアルコール・・・否、消毒液の匂いだろうか・・・・・?
そして何故か私はうつ伏せ状態で寝ている。そういえば、あれ程酷かった背中の痛みも殆ど感じない。
(あの後・・・相手ファミリーに殴り込みに行った・・・けど・・・確か、先を、越されてて)
上半身に巻きつけられた包帯。体のあちこちにテープの感触。薬品の匂い。狭い部屋。電子音。
少なくともこの部屋、そしてその付近に人の気配はなかった。私は―――私は、治療された・・・?何時の間に?
(恭弥の、・・・・切羽詰った声、は、覚えてる・・・・・)
、と。
普段聞いた事もないような勢いで、呼ばれた。・・・・夢、だったのだろうか?
危険はないと判断して起きることにする。目を開けるには、意外にも少々苦労した。瞼が重くて中々開かないのだ。
やっとの思いで目を開き、少しだけ身体を起こした私の目に飛び込んできたのは。
超狭くてしかも薄汚い上にごちゃごちゃと医療系のもので溢れている、とにかく居心地の悪い部屋だった。
不潔ではないようだが―――はっきり言って、私が乗っているベッド以外足の踏み場がない。どうしろと。
「っていうか。何処だっつの」
記憶にない場所だ。とはいえ、私を連れて来たのは多分恭弥だろうから・・・ボンゴレの息が掛かってる所か?
だとしたらマズイ。少しでも私があの事件と関っていたなどという情報が洩れるのは困るのだ。
状況に依っては―――その医者、事件が解決するまでどこかに閉じ篭って貰う―――のも、いいかもしれない。
そんな物騒な事を考えていた私は、ふと見下ろした自分の格好に気付いて硬直した。
治療の為だろう、上半身の部分の布は腰の辺りから綺麗に切り裂かれ、姿が見えない。焦げた下着も捨てられたのか。
申し訳程度に前身には布があてられ、その上から包帯が巻かれていたのだが―――これでは部屋の外に出られない。
ボンゴレに帰ったのか恭弥は居ないし私を治療したであろう医者とやらは全然姿を見せないし。
ああ、もう、一刻も早くハルの所に帰りたいのに・・・・!!