何も分かってない―――でもそれは私も同じ。
だから、何も分かってくれないからといって・・・・責める事は出来ない。
灰色の夢
自分でも驚く位、己の身体は冷え切っていた。強い力で握られた右手だけがとても熱く感じる。
ボスに手を引かれて見慣れた執務室に足を踏み入れても、身体全体を支配している緊張がとけることはなかった。
いや寧ろ、余計酷くなったのかもしれない。これからが本当の勝負だと―――痛いほど、分かっていたから。
「ツナさん、あの・・・ここは?」
「ボス専用の休憩室。といっても俺はあんまり使わないんだけど」
今のハルを誰かに見られちゃいけないし、ね。・・・・ボスはそう言って優しく、それでいて少し困ったように笑う。
執務室の奥へ進み彼に促されるままに入った部屋は、他より幾分狭いものの、豪華な内装であまり落ち着かない。
(・・・・確かにこんなに煌びやかな装飾ばっかりじゃ、休憩も何もないですよね・・・・)
ハルは物珍しさに辺りを見渡した。部屋の三分の一を占めるベッド、天蓋付き。傍にはティーテーブル。シャンデリア。
照明を除けば、休憩室というよりそのまま寝室と言ってしまった方がいいんじゃないかと思えるような部屋。
歴代のボスがそこを“何”に使っていたか―――幸いにもハルは知らなかった。
「ベッドに座っていいよ」
「でも・・・す、すっごく高そうです」
「いいから」
言葉は柔らかく、でもその腕は強引に。
ハルは抵抗らしい抵抗も出来ず、ふかふかの高級そうなベッドにちょこんと座らざるを得なかった。
ボスは満足そうに頷いて、徐に上着を脱ぐとそっと肩に掛けてくれる。暖かかった。とても。
それでも―――大好きなひとの傍に居るのに、でも―――強張った身体が解けていくことは、ない。
「ハル。ゆっくりでいいんだ」
隣にそっと腰を下ろして、彼は気遣わしげにそう言った。その瞳と声は労わりに満ちている。
優しく包み込まれているような空気。自分の立場も全て忘れて・・・何もかも吐き出してしまいたくなるような、それ。
自分の所為で殺してしまったと叫べたら。皆を見捨てて逃げてきたのだと喚き散らして、そして彼に慰めてもらえたら。
どんなに。どんなにか。(楽になれただろう、なんて)
「何が起こったか――話してくれる?」
「・・・・っ、はい・・・」
そんなこと、出来るわけがないのに。
ボスに気付かれないよう俯いて、ハルはそっと震える口の端を押し上げた。
ゆっくりでいい、大丈夫だから・・・と繰り返し囁くボスの言葉に甘えて殊更丁寧に報告を始める。
口にする前に頭の中で何度も繰り返し。吟味し。じっくりと慎重に言葉を選んで、ミスを犯さないように。
「会場へは別々で入ったんですが、少し経ってから中でさんと合流したんです。その後・・・」
依頼遂行の為にが一行から離れたこと、それから数十分は何事もなくパーティーが進んでいたこと。
そして―――何の前触れもなく、始まった惨劇のこと。
一々言葉を選んでいる為か何度もつっかえながら話す様を、ボスはさも痛ましそうに見ている―――。
(違うのに。そうじゃないのに。ねえ、ツナさん・・・?)
「・・・獄寺君から『戦闘が行なわれていた可能性がある』って報告は受けてたけど・・・まさかそんな」
「どちら側の人間だったのか、ハルにはわかりませんでした。・・・・もしかしたら、第三者の可能性もあると思います」
「ああ、その辺りは雲雀さんの報告を待って一度詳しく――」
ハル自身がこんな状態だからだろうか。ボスは特に何も質問してくることはなく、ハルが喋るに任せていた。
同じ状況のにならまた違っただろうに。・・・寂しいと思う。追求されたら困るのはこちらの方だけど。
矛盾した思考を内心持て余していると、いつの間にか会話が途切れている事に気付いた。
不思議に思って隣をこっそりと窺ってみる。まずい失言でもしてしまっただろうか、という不安もあって。
すると―――そこには、何かを言おうとして口を開きかけているのに、何故か苦渋に顔を顰めたボスの姿があった。
「ひとつ、いいかな」
「ツナ、さ・・・」
「あのさ、ハル。酷い事を聞くようだけど―――カルロ、達は」
ボスの口がその名を紡ぐのを、ハルは、表面上は冷静に受け止めた。当然聞かれるべきことだからだ。
それなのに、その後続けられた“三人は、その戦闘で―――命を落としたんだね?”という言葉に。
頷けなかった。言葉が詰まった。肯定出来ない・・・・というわけでは、なくて。
(ハルを庇って)という言外に含まれた意味も充分理解している。それを否定するつもりはない。
確かに彼らは身を挺してハルを庇った。二人共致命傷で、結果爆発によって命を落としたのだとしても何も変わらない。
ならば。
そう、ならば、アレッシアはどうなる?
彼女は会場から出た部長を追いかけて『階下に行き』、『その場で何者かに殺された』のだ。
ボスに正確な情報を伝える為には、ここで否定しなければならない。彼女だけは会場の襲撃とは関係なく殺された、と。
(そう言わなきゃ、いけない・・・んですけど)
一瞬だけ、頭の隅にの顔が浮かんだ気がした。
「は・・・い。そう、です皆・・・・ハルを、庇って・・・っ」
「っぁ、ごめんハル・・・!いいんだ、大丈夫だから。無理しなくていいから、ね?」
嘘を、吐いた。何の為かもよく分からない嘘を。
それでも、こんなにも明確な意志を持って嘘を吐いたのは人生で初めてかもしれない。
目を見ることが出来なくて、ハルはそっと視線を床に落とした。慌てたような声が罪悪感に支配された胸に突き刺さる。
(違うのに。そうじゃないのに。いつもならきっと、直ぐに見抜ける筈なのに)
ハルの嘘なんて簡単に、それこそ赤子の腕を捻るより簡単に見抜いてしまう癖に。こんな時だけ鈍いなんて。
思わずぎゅっと握り締めた手。震えが止まらない―――ああ、彼とどんどん距離が離れていく。
隣に居るのに、隣じゃない。隣になんて、立てたことすらなかった。
その動かしようもない現実が、何よりも辛かった。
「ツナ。入っていいか?」
「山本?どうぞ、いいよ入って」
控えめなノックの後、幾分硬い山本の声が響いた。音もなく部屋に入ってきた彼は片手に大きな袋を持っている。
「出席名簿は無事変更出来たぜ。後から調べられても大丈夫だから心配すんなって」
「あ、有難うございます!ハル、とっても助かりましたっ!」
「どういたしまして・・・と、そうだこれやるよ。そんな格好じゃ何も出来ねーよな」
「え・・・?」
そう言って渡された袋。中には普段着ているような黒いスーツが一式揃って入っていた。
ハルは少し冷静になって自分の姿を見下ろす。・・・服だけじゃなく剥き出しの腕や足までが黒ずんだ血で汚れている。
「取り敢えず、シャワーとか浴びて一息つこうぜ。な?」
内心はどうあれ、にかっと何時も通りに明るく笑う彼を見て。
また泣きそうになったことは、……秘密。