私は、私達は。
本日この時を以って―――貴方たちと、訣別する。
灰色の夢
二人が乗った車は静かにボンゴレ地下駐車場へと滑り込んだ。時間も時間である。人の気配は感じられない。
私はシャマルの診療所からずっと、迫り来る眠気に耐えつつ座席に浅く腰掛けて背中を守っていた。
恭弥の言う通りうつ伏せで寝ても―――まあ、悪くはなかったのだが、如何せん眠い。本当に窒息してしまう。
(効きにくい、とは言っても全く効かない訳じゃないからね。この時間普通は寝てるし)
とにかく無事、何ら危険なこともなく私達はボンゴレへと到着できた。
そう、だから後は『沢田綱吉』という最大にして最難の関門をクリアすれば、私は心置きなく睡眠を取れる。
「・・・・」
「ん、ありがとう」
いつの間にか駐車を終え車から出た恭弥は、後部座席に座る私を支えて外に出してくれた。
普段なら突っ撥ねるところだったが、これからのことを考えて私は素直に体を預けた。無駄な体力は使いたくない。
それに消耗しているのは体力だけではなく精神力もだ。
ボスのことだから余り無理を強いることはないだろうが・・・・追求自体を免れることは出来ないだろう。
私が持つ情報屋『Xi』としてのプライドを、彼はよく理解しているから。
「え、それじゃ今獄寺さんと・・・・リボーンさんまで現場に行ってるの?」
「まあね。ここには山本しか残ってない筈だよ」
「・・・ふぅん・・・」
執務室に行く為のエレベーターに乗りながら私はそっと状況を探った。
恭弥の話が正しければ、現在ボンゴレに居るのはボス、山本、ハル、恭弥、そして――私、の計五人ということになる。
(しめた・・・!リボーンが居ないのはもうホントに好都合。いい感じだわ)
獄寺はまだいい。直情ゆえに彼を騙すのは容易い。山本もまた然りである。
ボスの超直感は確かに厄介だが―――今、どこまでその力を発揮できるだろう。傷ついたハルの前で、どこまで?
そして恭弥を騙す、のも難しいけれど決して不可能じゃない。長年の幼馴染という関係がきっと私の助けになる。
・・・・・だが、リボーンは違う。
彼と私とでは踏んだ場数の種類も質も違うのだ。その研ぎ澄まされた勘は私達の僅かなミスさえ見抜くだろう。
普段ならまだしも、この特殊な状況下、心も身体も疲れ切ったままで太刀打ちできるような相手ではない。
私はある種の畏怖をかの少年に感じていた。勝てない、というどうしようもない敗北感と共に。
(こんなこと思ってるようじゃ・・・何時までたっても敵いやしない、か)
まあ兎にも角にも、二人が報告云々でボンゴレに戻っていないことを祈るばかりだ。
軽快な電子音が響き、扉が開く。私は先に出た恭弥の後に続いて―――ボンゴレ本部最上階に、足を踏み入れた。
執務室の奥の部屋、その更に奥には小振りなシャワールームが付いていた。
豪華なベッドの陰に隠れて最初は気付かなかったのだ。それにしても・・・流石はボス専用、豪華な部屋である。
ハルはボスと山本の好意に甘えてお風呂に入らせてもらった。温かいお湯を浴びて身体は綺麗になっていく。
自分を守ってくれたカルロ達の血を流してしまうことに、少し抵抗はあったけれど。
すっかり冷えてしまった身体を暖めるのには充分だった。二人が遺した血も頬に残る涙の後も、綺麗に消えていった。
それでもこの血に塗れた忌まわしい記憶だけは―――いつまでたっても、消えることはない。
多分、これからも、ずっと。
「ハル達は、勝ちますよ。・・・・絶対に」
見ててください、と心の中で呟く。両手にはどす黒く染まった空色のドレス。彼らが生きた証。
ハルはそれを大事そうに畳むと、山本が持ってきてくれた紙袋の中にそっと押し込んだ。
「ツナさん、山本さん、有難うございました」
「ああ、お疲れハル。ちょっとは暖まった?」
「はい。ばっちりです!」
「お、そりゃ良かったな」
奥の部屋を出て執務室で待っていた二人に声を掛ける。二人共こちらを見て安心したように微笑んだ。
何故だろう、スーツに着替えたからだろうか。声の調子も気分も普段に近いくらいに戻ってきている。
(ねえ、さん。ハルは、・・・ハルは出来る限りのことはやったつもりです・・・)
―――だから、早く戻ってきてください。そんな想いを込めて、ハルはそっと目を伏せた。
決意も新たに足を踏み出したはいいが、一歩踏み出した場所で私は何故か立ち止まっていた。
数歩先に居た恭弥は、そこから動かない私の気配に気付いて訝しげに振り返る。
「・・・・?何してるのさ」
「ちょっと心の準備。先行ってていいわよ、恭弥」
「何で準備とか必要なわけ?意味が分からないよ」
最上階に乗り込んだその瞬間―――感じたボスの気配に、私は圧されたのだ。
屋上であの恐ろしい殺気を受けていたから、というのもある。それにこの階全体がぴりぴりしていて落ち着かない。
だったら恭弥が分からないわけはないのだが・・・そこはそれ。私自身、彼に対して罪悪感を抱えているからだろう。
平常心平常心、と内心呪文のように繰り返し唱えて落ち着こうとしていたその時、だった。
(―――あれ?今、弱まった・・・)
それが、着替え終わってボスに逢いに行ったハルの所為だったとは知らない私は。
これ幸いと深呼吸して、傍らで待っていてくれた恭弥に頷き―――目前の敵が待つ執務室へと、今度こそ足を向けた。
私は何となく気配を消していたのだが、同行者の我が幼馴染はそうでもなかった。
恭弥が執務室の前に立った瞬間、中から『どうぞ入って?』とボスの声が聞こえてきた。うん、鋭い。
入るよ、と声を掛けて扉を開けた恭弥に続いて、声を上げることなく私もそっと体を滑り込ませる。
「・・・・・・・・・え?」
「お、」
「――――さんっ!!」
ぽかん、とした男連中の声は今にも泣きそうな叫びにかき消された。挨拶する暇もない。
そして次の瞬間、私は全身に衝撃を受けてたたらを踏む。そう、ハルに力一杯抱きつかれたのだ。
「さん、さん、さ・・・!ぶ、無事、・・・ご無事だったんですね!?」
「あら私は大丈夫よ。この通りぴんぴんしてるわ」
「・・・・・ぶっ倒れたくせに」
「やかましい」
必死でしがみついてくるハルの頭を優しく撫でつつ、その顔に悲壮感がないことに安堵する。
多分、上手くいったのだ。やはり彼女に任せて正解だった。―――だから、次は、私の番。
「それよりハル、ボスに苛められたりしなかった?何かされたら私がちゃんと仕返ししてあげるからね?」
「い、いいえ全然そんな事は・・・っハルだって、本当に、大丈夫ですから」
「さん・・・あのさ。俺のこと、どんな風に思ってるのかな?」
「え、知りたいんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・。いや、やっぱり遠慮しとくよ」
それが賢明だと思いますよ、ボス。